19世紀ピアニスト列伝

アンリ・ベルティーニ 第1回:神童、学習時代

2013/01/15
神童、学習時代

アンリ・ベルティーニ(1797~1876)の肖像

マルモンテル著『著名なピアニストたち』から第一章「ショパン」の項目の翻訳は一応前回で終わりました。ここからあと29名、ピアニスト兼作曲家たちが次々に登場します。おそらくこのうち半分ほどは一般に名前の知られていない名手たちです。しかし、単に「マイナーな作曲家を発掘する」という好奇の眼差しを彼・彼女たちに向けるのではなく、近代的な「ピアノ音楽」の出発点となった19世紀西欧が、私たちの想像や知識をはるかに越えていかに多様で彩り豊かなピアノ文化の担い手を生み出したかを見ていきましょう。

ということで今日は第二章、「アンリ・ベルティーニ」です。ベルティーニショパンより12歳年上の作曲家。現在では全音楽譜出版社から子ども用の練習曲と小品集が出ているだけですが、演奏会用の超大な練習曲や数々の室内楽も手がけた一流の音楽家として尊敬を集めた人物でした。それでは、生前の彼を知るマルモンテル氏に発言を委ねましょう。

死とは気まぐれなものだ。名声を博したということで言えばほぼ同時代を生きた二人の芸術家、ベルティーニショパン。この二人に関して、死は年下のショパンが没してから30年の後に、年上のベルティーニに訪れた。ずっと前に世間に別れを告げた後、先ごろ78歳で亡くなったこの大芸術家は、最も美しい頁を書き残してベルティーニ家の芳名帳を閉じた。ベルティーニは将来、一つの音楽的系譜にあまねく散在する数々の名声をまとめ上げ、それを自らの名の上に一心に集めていることだろう。逆の言い方をすれば、この系譜自体がベルティーニという人物を物語っている。そしてこの系譜によって彼についての説明は枠付けられ、補完されるのだ。

1721年にパレルモで生まれた[祖父の]サルヴァトール・ベルティーニは、作曲家レーオ1の秀でた生徒の一人だった。1746年にはもう有名で、 この頃には非常に多くの劇場や教会用の作品を書いて大衆の高い評判を得ていた。これが音楽史に記述された最初のベルティーニである。我らが著名なピアニストの父はといえば、1750年トゥールの生まれで、大聖堂の楽長から音楽の手ほどきを受けた。優れたオルガニストにして宗教作曲家の彼は、二人の息子、ブノワとアンリにレッスンと教育を施し人生を過ごした。このうち前者のブノワは約6年間クレメンティの下で学んだ大変な熟練ヴィルトゥオーゾだった。彼は現代のピアノ流派の創始者クレメンティの卓越した伝統を弟アンリに伝えたに違いない。

アンリ・ベルティーニは1798年10月28日、家族がある時期に滞在したロンドンで誕生した。アンリはパリに導かれ、父の監督下で教育を受けた。この父はごく幼い時期からアンリに音楽の勉強を始めさせた。早熟な少年アンリの恵まれた素質は兄の熱心な配慮に助けられた。この素質のおかげで、彼は相当に若くして大変著しいピアニストの才能を手中に収めた。神童たちの常となっている宿命に従って、アンリ・ベルティーニもまた父の保護下で演奏旅行をすることとなった。父はアンリをベルギー、オランダ、ドイツへと順に連れて行き演奏会を開いた。そこでは彼の輝かしい演奏と完璧な趣味がこの上なく鮮烈な印象与えたのだった。

パリで和声と理想的な作曲2の勉強に専念したのち、ベルティーニはイギリスを訪れ、たいへん長い間そこに住んだ。1821年、ベルティーニは23歳の時にようやくパリに戻った。ここパリは最終的な安住地ではなかったにせよ、少なくとも1840年に彼が南仏に隠退する時期まで続く安息地となるべき場所だった。

ベルティーニはピアニストとして大変な名声を残した。この評判は彼のみごとな様式、非の打ちどころのない、大家に相応しい演奏に裏打ちされていた。彼の演奏は規則正しさと急速な走句の明確さという点でクレメンティに似た特徴をもっていたが、音質、フレージング法と楽器を歌わせる流儀はフンメルモシェレスの流派に属していた。名技性という点ではカルクブレンナーエルツには及ばなかったが、それでもベルティーニは一通りの演奏技法、すなわち類まれな価値を有し、すばらしい手本となる全く個性的な演奏を手中に収めていた。その上、彼は他とは一線を画する教師で、厳格でこの上なく配慮の行き届いたレッスンをした。彼が教育から手を引いたとき私は彼の多くの生徒を指導したが、私は彼の流派から得られた基礎が非常にしっかりしたものだったということを確認することができたのだった。

【脚注】
  1. レーオLeo, Leonardo (1694-1744). 18世紀前期ナポリ楽派の主要な音楽家。オペラ、教会音楽で活躍。
  2. 19世紀の文脈ではパレストリーナの作曲法を範とする厳格対位法を指す。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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