19世紀ピアニスト列伝

F.ショパン 第1回:優雅さ、感受性、繊細な柔らかさ

2012/11/28
優雅さ、感受性、繊細な柔らかさ

 今日ご紹介するのは『著名なピアニストたち』の第一章、「F. ショパン」の冒頭です。
 著者のマルモンテルはポーランドでショパンが受けた教育についてはほとんど書いていません。ポーランド時代(1810~1831)のショパンに関するマルモンテルの知識は、伝聞や当時の書籍に依拠しています。そのため、記憶の間違いや参照した古い資料に由来する誤りが含まれていますので、気づいた箇所に注釈を施しておきました。

1. F.ショパン
[1]
まさにこの名前だ。甘く感動的なたくさんの想い出とともに、偉大で高貴な霊感がよみがえる。詩情と苦悩が織りなす栄光を幾年の月日を経て保ち続け、そして、この画廊1を開け放つのに相応しいその名。神の光に照らされながら、かくも深く人間的な顔立ち。理想に取り憑かれ、天才の刻印をもった高邁な本性。だが、この本性は幾多の試練、そして人間世界と彼とを結ぶ恐れや悲哀を経たことによって、いっそう、魅力と共感に満ちたものとなったのだ。
[2]
フレデリック=フランソワ・ショパンは1808年2、ワルシャワに近いジェラゾヴァ・ヴォラに生まれた。彼の家族はフランスに出自を持ち3、ほとんど裕福とは言えない家庭だった。彼自身については繊細で体が全く弱く虚弱体質だったので、苦しい少年時代を生き周囲の者に強い不安を与えた。だが彼の親切で大変優しい心、ほっそりとした気品ある顔立ちで、彼は既にあらゆる好感を引き寄せていた。9歳の時、いくらか健康状態も良くなったので両親は音楽とピアノを始めさせることにした。その進歩の早いこと。わずか数年で、彼特有の美質が際立ち始めたが、それらは後に燦然たる輝きとともに発揮されることとなるべきものである。すなわち、優雅さ、感受性、繊細な柔らかさ、つまるところショパンの性格の本質である。

図1ラジヴィウのサロンで演奏するショパン。ヘンリク・シェミラツキ(1843~1902)、1887年作。
[3]
この大芸術家の並外れた気品は時を経るにつれてその度合いを強めたが、既に通人たちの注意を引きつけ、彼らの耳を魅了するほどに際立っていた。こうした彼の気品は彼の素質と、ラジヴィウ公による寛大な庇護の下で大変入念に行われた教育に由来していた。[というのも]公はお気に入りの幼いショパンをワルシャワの最高の名士たる同僚たちに引き合わせ、大変熱心にショパンの進歩を見守っていたのだ。ショパンが最初の少年時代を過ごしたこの環境は、感受性の強い気質にまたとない影響を及ぼしたはずである。学問、文学、芸術の最高峰を成す上流人士集団と継続的に交わったことで、彼は想像力が生み出す傑作の詩的な魅力を授かったのだ。その後、彼の祖国で起きた不幸な出来事4が彼をパリへと導いた時―その時彼は立ち寄るだけのはずだったが、亡くなるまでの17年間、この街で生活した―ショパンはあの輝ける名士たち、すなわち嘗て少年時代の彼を庇護し、その天才を見抜いたポーランド移民の花形と再び出会った。まさにこのパリで、偏りのない好意に囲まれて、愛情と知的な音楽趣味から生まれる優しい雰囲気に包まれて、ショパンはその上品な趣味を磨いたのだ。だが、一方で想像力豊かな作品、清らかで情熱的な詩、愛と英雄の歌のために、彼はスラヴ民族の甘美な詩的芳香、それに不在の祖国の想い出もいくらか洗練させた。

次回はパリ時代のショパンの想い出を扱う箇所をご紹介致します。(翻訳・注:上田)

  1. 「この画廊」とは、この列伝『著名なピアニストたち』のこと。30名の伝記の一つ一つを一枚の絵画に喩え、これらをまとめたこの著作を「画廊」と呼んでいる。
  2. 1810年の誤り。
  3. ショパンの父ミコワイ・ショパンはフランス人、母ユスティナ・クシジャノフスカはポーランド人。
  4. 1830年から31年にかけて起こったワルシャワ革命とその鎮圧。ロシア帝国の支配に対する自由主義者、民族主義たちの不満から勃発、30年11月に大きな暴動(11月蜂起)が起こり、これを契機として翌年ロシアとポーランドの戦争が始まったがロシア軍に鎮圧された。愛国者ショパンはパリへの移動中にこのニュースを受けて激しく落胆した。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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