第20回 日本人とピアノデュオ(下)
ボフスラフ・マルチヌー
二台のピアノのための3つのチェコ舞曲
III:ALLEGRO NON TROPPO
レインゴリト・グリエール
6つの小品 作品41より 悲しきワルツ、シャンソン、バレエの情景の3曲
スペインの音楽より III : TIRANA ET SEGUEDILLE
菅原 明朗氏のご令嬢の北島 明美さんと初めてお話をさせていただいたとき、私たちの活動を手短にご説明し、邦人作曲家の2台ピアノ作品を探していることを申し上げたところ、北島さんから驚くようなお言葉が出てきました。「2台ピアノや連弾なら、専門にやってらした方がいらっしゃったから、そちらにお尋ねになってはいかかがでしょうか。父(菅原明朗)のお弟子さんの 陶野 重雄さんの奥様が2台ピアノのコンサートを毎年のようにやってらしてね。今は連絡先はわからないけれども、日本音楽著作権協会(ジャスラック)にお尋ねになってみて下さい」と北島さんは電話口でおっしゃるのです。そして私たちは、陶野 重雄・恭子さんご夫妻のご子息である陶野 郁雄さんとお話しする機会を持つに至りました。陶野 郁雄さんから伺ったさまざまのお話は、私たちの活動を支える原動力の一つとなっていると言っても過言ではありません。本連載において、そのお話の一端を皆さまにご紹介することをご快諾下さった陶野さんに心より感謝申し上げる次第です。
作曲家、陶野 重雄氏(1908-85)は、菅原 明朗、諸井 三郎の両氏に師事、1953年に文部省芸術祭管弦楽部門に入選しました。代表作に、吹奏楽曲「若人の踊り」、「祝典音楽」、「交響曲ホ調」などがあります。バレエ音楽「石像と花と女」、「ノー・モア・ヒロシマ」、オペラ「屋根上の狂人」なども高い評価を受けています。 1968年には、吹奏楽のための「序・破・急」ト調が、第16回全日本吹奏楽コンクール中学の部の課題曲に採用されています。また、陶野 重雄氏の夫人、陶野 恭子さん (1913-2003) は高木 東六氏に教えをうけ、ピアニストとして精力的に活躍され、後進の育成にも尽力されました。私たちは、陶野夫妻のご子息である陶野 郁雄さんに連絡をとらせていただき、北島 明美さんから紹介をされたことを説明した上でお話を伺いました。陶野 郁雄さんのお話は、2台ピアノに関することはもとより広く芸術全般に及び、戦後日本の音楽史、文化史の現場に身を置かれた方ならではの貴重な証言を多くお聞かせいただくことができました。陶野さんは、子供の時分からお母さまがピアノ連弾、2台ピアノのコンサートをよく開催されていたと語られたうえ、「海外公演に行くたびにその土地で楽譜を購入してきて、日本初演、世界初演のピアノデュオ作品も多くあったようです」「お弟子さんに形見分けをする時は、楽譜のページを破って渡しておりました」といったエピソードもご披露くださいました。陶野 恭子さんは70歳まで精力的に演奏活動を続けられ、1980年代には、当時弾かれる機会の少なかったバルトークの2台ピアノ作品の全てを演奏するなど、顕著な活動実績を残されました。
西原昌樹 陶野郁雄さんとともに 2010年7月5日池袋にて
コンサートのプログラムや楽譜は、陶野 恭子さんがお亡くなりになった時にたくさんのお弟子さんたちに形見としてお分けになられたそうで、お手元にはほとんど残っていないということです。これは、実のところ陶野さんのお話に限ったことではなく、複写や製本のための機械が普及していない時代に広く執り行われてきた、まぎれもない現実なのです。思えば、この行為は、演奏家の方、ご遺族の方なりに、譜面というものを大切に扱おうとなさるお気持の純粋な表れ以外の何物でもなく、現代の私たちに、こうした習わしに対してとやかく言う資格はありません。私たちも、諸外国の図書館から譜面を入手しようとするときに、パート譜の片方しかないとか、ページの不足があるといったケースに多く遭遇しますが、それを一概に図書館のせいにするなどはもっての外というべきかもしれません。散在するパート譜を見つけ出して揃えるなどの労をいとわず、楽曲を完全な形で甦らせることこそが、現代に生きる演奏者に課せられた使命であろうと理解しております。楽曲への敬意を忘れず、楽譜を大切に扱うということは、いつの時代であっても、音楽にたずさわる人間として演奏技術以前の最も根本的な約束ごとではないかと思うのですが、どういうわけか、この大原則をまるでご存知ない演奏家に出会って驚かされるといった経験もありました。そうした苦い思い出も、このときの陶野 郁雄さんのお話で、すっきりと拭われたように感じたものです。
陶野さんからは、1970年代の陶野 恭子さんのお弟子さんたちによるコンサートのプログラムを見せていただきました。バラエティに富む曲目の素晴らしさもさることながら、多くのコンサートで「ピアノ1台の部」「ピアノ連弾の部」「2台ピアノの部」という3つの部分に分かれて構成されていることが目を惹きます。連弾や2台ピアノが、最後に添え物のように扱われているのではなく、ソロ、連弾、2台が全く均等のウエイトで扱われています。私たちも、さまざまな方の主催されるコンサートにできるだけ足を向けるようにし、コンサート情報も細かくチェックしておりますが、このような分け方とウエイトで構成されたコンサートのプログラムは他に見たことがありません。2台ピアノの演奏曲目だけに限って見ても、十年一日のごとく同じ曲目が並びがちな現代のコンサートとは一線を画し、有名なモーツァルトやラフマニノフの作品だけでなく、古典から現代まで、バランスのとれた選曲がなされている配慮に驚かされます。インターネットも通信販売もない時代、為替相場の違いなどまで考慮すれば、私たちが楽譜入手に費やしている手間や時間の何倍もの労力を使われて楽譜を入手されていたことがわかります。それだけでも、陶野 恭子さんのピアノ連弾、2台ピアノに対する思いの強さを感じることができます。また、偶然とはいえ、私たちがこれまでにコンサートで取り上げた作品と重なる楽曲も多く、グリエール「6つの小品」、インファンテ「スペインの音楽」、マルチヌー「3つのチェコ舞曲」などを積極的に生徒さんたちに紹介された陶野 恭子さんの懐の深さに感銘を受けました。陶野 重雄さんが、生徒さんたちの2台ピアノの合奏練習に立ち合われ、解釈上の助言を与えるようなことも多かったそうです。
陶野 恭子さんのご功績や演奏記録などは、現在のところインターネットでは調べることができず、貴重な記録の存在が忘れられようとしています。インターネットは便利なものではありますが、網羅的でも万能でもありません。貴重なお話を直接うかがえる機会を得、それを皆さまにこうしてご紹介する機会も持てたことを光栄に思っております。いつの時代にも信念を持って音楽活動に取り組まれた方がいること、それは海外ばかりでなく、日本国内にもこうして存在されていることを知り得たことは幸運でした。さらには、私たちが知らないだけで、実りある音楽活動に尽力されている方々が、過去にも現在にも数多くいらっしゃるはずだということにも思いを馳せなければなりません。この思いこそが、私たちの演奏活動の支えとなっています。私たちも視野を広く持ち、常に研究を怠らず、安易な思い込みを排除して、信念を持って活動を続けたいとあらためて心に期する次第です。