第11回 サン=サーンスの2台ピアノ作品(下)
【カテゴリD:他の作曲家の作品のサン=サーンスによる2台ピアノ用編曲】
特に注目すべき4作をご紹介しておきます。第一に、楽壇の先輩、グノーの「協奏的組曲」を、サン=サーンスが2台ピアノ用に編曲したもの。原曲は、ペダル・ピアノ(足鍵盤つきピアノ、仏語でペダリエ)と管弦楽のための協奏作品です。サン=サーンスは、楽曲全体を分解、再構築して、2台ピアノ用作品としています。単純に独奏パートと管弦楽伴奏パートに振り分けたリダクション版ではないことを申し添えます。全4楽章からなり、グノーの魅惑的な旋律美が全篇にちりばめられた華やかな傑作です。第二に、楽壇の後輩にあたるアンリ・デュパルクの交響詩「レノール」の2台ピアノ用編曲。サン=サーンスは、自身のピアノ曲ではおよそ使わないような書法を駆使しながら編曲にあたっており、デュパルクの特異な耽美の世界を2台ピアノの上に完全に移植することに成功しています。第三に、ショパンの「ピアノソナタ第2番」(作品35)の2台ピアノ用編曲。有名な葬送行進曲を含むショパンの傑作ソナタを、原曲の持ち味をそのまま保ちながら、完全な2台ピアノ作品としてサン=サーンスが再構成しています。2台ピアノの本格的なレパートリーとしてはもとより、ショパンの学習・解釈を行う折に併用するような利用法も有用であると思います。第四に、リストの「ピアノソナタ ロ短調」の2台ピアノ用編曲。ショパンの第2ソナタと同様に貴重な編曲であると同時に、これは、親交の深かったリストに寄せるサン=サーンスの友情と敬愛の証の一つでもあります。リストのロ短調ソナタの2台ピアノ用編曲がデュラン=サラベール=エシック社より出版されたのは2004年、ごく最近のことです。これからも、サン=サーンスが2台ピアノの分野に残した仕事が新たに発見されることも充分にあり得ることと期待されます。
以上、サン=サーンスの2台ピアノ作品の概要をご紹介致しましたが、1台4手連弾曲に目を向ければ、2台4手作品の何倍もの量に及ぶ膨大な作品群が存在することに圧倒されます。サン=サーンスの連弾曲は、種類・規模・難易度、あらゆる点で2台4手作品以上にバラエティに富んでおり、限られた紙面でご紹介しきれるものではありませんが、ここでは私たちが特に親しんだ1台4手作品に限ってご紹介しておきます。サロン的な味わいを持つ美しいオリジナル連弾曲「小二重奏曲」(作品11)、スエズ運河開通を祝賀して作曲された行進曲「東洋と西洋」(作品25)の作曲者自身による4手連弾用編曲、ピアノ独奏用の有名な「グルックのアルチェステによるカプリス」をドビュッシーがいっそうの華やかさを加えて4手連弾用に編曲したものなどを挙げておきたいと思います。連弾では、ドビュッシーのほかにも、フォーレやアンドレ・メサジェらが編曲者として名を連ねていることも目を引きます。スタンダードなレパートリーはもとより、何かひとひねりしたレパートリーをお捜しの方々にも広くお奨めできます。
私たちは、2004年頃からコンサートの頻度・内容・開催方法を徐々に変更したこともあり、以後しばらくの間、サン=サーンスの2台ピアノ作品を大きく取り上げる機会を持ちませんでした。それでも、散発的ながら、2007年9月の「君が代は海を越えて」では「英雄行進曲」(カテゴリB)を、2008年4月の「四月物語」では「七重奏曲」(カテゴリB及びC)を、2008年9月の「近代フランス名曲撰」では「パリザティス」舞踊音楽と「プロゼルピーヌ」間奏曲(ともにカテゴリB)を、それぞれプログラムに組み入れました。サン=サーンスの楽曲の独特の存在感は、プログラムに絶妙のアクセントと彩りを添えるものとなっています。そうして、2009年3月に第百回コンサートという節目の回を迎えることとなったとき、私たちは出発点に立ち返って、オール・サン=サーンスのプログラムとすることを決めました。「オンファールの糸車」「死の舞踏」という二つの交響詩の2台ピアノ版と組み合わせ、プログラムの後半に、交響曲第3番≪オルガン付き≫(作品78)の作曲家自身の編曲による2台ピアノ4手版(全2楽章)を据えました。≪オルガン付き≫は、作曲者自身「持てる全てを注ぎ込んだ」と認めた文字通りの最高傑作ですが、作曲者は管弦楽のスコアを完成させると同時に、自らの手によって2台ピアノ用編曲版をも完成させているのです。これは、規模の大きさ、内容の密度の濃さ、技巧の高度さなど、あらゆる点で、サン=サーンスの全ピアノ作品中でも特別の存在となっています。それだけに、私たちは≪オルガン付き≫の2台ピアノ版には容易に取り組むことができず、結果的には十年間あたため続けることになりましたが、節目の回に十年越しの念願を果たすことができ、サン=サーンスの音楽の素晴らしさをあらためて実感することとなりました。
ご紹介の通り、サン=サーンスの2台ピアノ作品は多数あり、多彩な規模・内容を具えた魅力的な作品が揃っています。もちろん私たちは、皆が皆、サン=サーンスの2台ピアノ作品の全曲を網羅して弾くべきである、などと申し上げるつもりはありません。ただ、サン=サーンスの音楽の魅力や本質を伝えるには余りにも難の多いように思われる「動物の謝肉祭」の2台ピアノ単独版が必要以上に頻繁に演奏され、しかも、弾くほうも聴くほうも心から満足されているようにはお見受けしないといった現状をまのあたりにすると、例えば、先に「カテゴリA」としてご紹介したオリジナルの2台ピアノ作品のうちのどれか一曲くらいを、「動物の謝肉祭」に替わるレパートリーに加えられてはどうですかと申し上げずにはいられないのです。日本の過去の演奏史をひもといても、この考えが間違っているとは思われません。例えば、安川加壽子さんは、サン=サーンス「ベートーヴェンの主題による変奏曲」(作品35)を得意とされました。ラザール・レヴィ追悼演奏会で安川さんがこの曲を田中希代子さんと共演した折の演奏は、師弟関係を越えた丁々発止の応酬を繰り広げた稀代の熱演として、現在でも伝説的に語り継がれています。また、アンリエット・ピュイグ=ロジェさんも、遠藤郁子さんと「ベートーヴェンの主題による変奏曲」を演奏されていますし、高野耀子さんとは、ドビュッシー「白と黒で」、シャブリエ「3つのロマンティックなワルツ」に続けて、サン=サーンス「スケルツォ」(作品87)を演奏され、後半にはレイナルド・アーンのワルツ集「ほどけたリボン」を組み合わせるという、見事なプログラムを披露されています。こうした良き伝統も踏まえながら、サン=サーンス本来の魅力を伝える楽曲が演奏される機会が増えることを願っています。