第10回 サン=サーンスの2台ピアノ作品(中)
さて、私たちにとってこれほど重要な存在となっているサン=サーンスの2台ピアノ作品には、具体的にどのようなものがあるのでしょうか。サン=サーンスには全部で40作ほどの2台ピアノ作品の存在が確認されていますが、私たちは、便宜上、それらを大きく四つのカテゴリに分類しています。カテゴリ順に、その概要をご紹介致しましょう。
【カテゴリA:オリジナルの2台ピアノ作品】
5つの作品があります。一作毎に作風が全く異なり、相互に似た作風の曲が全くないことは特筆に値します。まず、堂々たる古典の風格をたたえ、贅美を尽くした変奏とフーガを経て、息をもつかせぬフィナーレに至る「ベートーヴェンの主題による変奏曲」(作品35)。私たちは2002年3月のコンサート「原智恵子さんを偲んで」で、この古典的名作に取り組みました。いっぽう、騎士道精神を体現したような高潔さにあふれた「ポロネーズ」(作品77)。そして、「ポロネーズ」とは対照的に無調的手法の使用に及び、独特の疾走感を伴って形而上学的遊戯を縦横に展開する「スケルツォ」(作品87)。この2作もまた、あらゆる2台ピアノのコンサートの締め括りを飾ることのできる、充実した逸品です。一転して、小規模ながらエキゾチシズムあふれる「アラブ綺想曲」(作品96)は、私たちが特に気に入っている曲の一つです。お聴きになった方から「沙漠を進む隊商の陣列や、夜行性の小動物たちが目に見えるようでした」という印象的な感想をお寄せいただいたことも忘れられません。晩年に書かれた「英雄的綺想曲」(作品106)になると、渋味のある深い音響へと傾きます。ここでは、一応は調性音楽の体面こそ保たれているものの、機能和声の体系から遠く隔たった独自の和声体系に立ち至っています。先の読めない複雑な転調が幾度となく展開される中間部など、フォーレの中期作品やフランクの後期作品かと錯覚するほど。「サン=サーンスの音楽は保守的である」と思い込んでいる方にこそ知っていただきたい作品です。
【カテゴリB:他楽器用作品のサン=サーンス自身による2台ピアノ用編曲】
このカテゴリはバラエティに富むラインナップを誇り、その重要性の度合はカテゴリAにも劣りません。作曲者自身が最高傑作と認めた交響曲第3番≪オルガン付き≫(作品78)の2台ピアノ4手版はあらゆる意味で別格としても、全4作の交響詩全てが、作曲者自身によって2台ピアノ用に編曲されている点は見逃せません。夢幻的な「オンファールの糸車」(作品31)、勇猛な「ファエトン」(作品39)、ニヒリスティックな「死の舞踏」(作品40)、神話時代の壮大なるサーガ(英雄譚)そのものの「ヘラクレスの青年時代」(作品50)。4作すべてが、2台ピアノ用の独立した作品と見ても、高い完成度を誇っています。交響詩に準ずるものとして扱われることが通例である主要な管弦楽曲群、すなわち、「英雄行進曲」(作品34)、「アルジェリア組曲」(作品60)、「アラゴンのホタ」(作品64)、「ヴィクトル・ユゴー賛歌」(作品69)、「糸杉と月桂樹」(作品156)などは、もれなく、サン=サーンス自身が2台ピアノ用に編曲しています。「タランテラ」(作品6)、「二重奏曲」(作品8)、「七重奏曲」(作品65)といった室内楽曲にも2台ピアノ用編曲版が存在します。どの一つをとっても、聴く人に忘れがたい感銘を与えてくれます。
【カテゴリC:他楽器用作品のサン=サーンス以外の編曲者による2台ピアノ用編曲】
作曲者自身ではなく、他人の手になる編曲という点で、カテゴリBほどには重要性が認められにくい傾向にありますが、実は、「動物の謝肉祭」を除き、カテゴリC の多くが、サン=サーンスの生前に出版されているという事実に、あらためて着目すべきではないでしょうか。これは、言い換えれば、2台ピアノへの編曲、出版を行うことを作曲者が許したということを意味し、黙示的ながら作曲者がお墨付きを与えていると言ってよく、しからば、このカテゴリの重要性もおのずから明らかです。有名な編曲者として、まずドビュッシーが挙げられます。ドビュッシーは、「序奏とロンド・カプリチオーゾ」(作品28)、「交響曲第2番」(作品55)、オペラ「エチエンヌ・マルセル」の舞踊組曲、以上3作の2台ピアノ用編曲を手がけており、いずれも簡にして要を得た好個の編曲作品となっています。レイナルド・アーンは美しい「リラとハープ」(作品57)を編曲しています。その他にも、A. Benfeld, Leon Roques, Edouard Risler, Charles Malherbe, Gaston Choisnel といった当時の一流の音楽家が編曲者として名を連ねています。若き日のすがすがしい「交響曲第1番」(作品3)、壮大な「ピアノ四重奏曲」(作品41)、軽妙洒脱な「デンマークとロシアの歌による喜遊曲」(作品79)といった名作を、いずれ劣らぬ見事な2台ピアノ版でのびのびと楽しむことができるとはなんと贅沢なことかと思います。なお、もともと2台ピアノと室内楽の合奏のために書かれた有名な「動物の謝肉祭」を、2台ピアノ単独で演奏できるように編曲された版(Ralph Berkowitz編曲)は、強いて分類すればカテゴリCに属することになります。しかしながら、これはサン=サーンスの没後に、作曲者の遺志とは無関係に出版されたものであり、上記に挙げた編曲者たちの手がけた幾多の魅力的な編曲版に比べると、随所で違和感を覚えざるを得ないものとなっています。Berkowitz版の「動物の謝肉祭」をコンサートの演目に入れることには、慎重の上にも慎重であるべきではないでしょうか。
サン=サーンスの2台ピアノ作品(下)に続く