第09回 サン=サーンスの2台ピアノ作品(上)
私たちが2001年に現在の形で演奏活動を始めることを思い立った根底には、サン=サーンスの2台ピアノ作品との出合いがありました。実のところ、私たちも、かつては、サン=サーンスといえば「白鳥」「序奏とロンド・カプリチオーゾ」といった有名作、あとは、代表作である交響曲第3番≪オルガン付き≫くらいしか知らなかったのです。率直に言って、作曲家として強い印象は無し。よもや、2台ピアノを手がける上で避けて通ることのできない重要な存在であるということには、思い及ぶはずもありませんでした。それも無理からぬことであったとは思います。というのも、一般の2台ピアノのコンサートで弾かれるサン=サーンスの作品と言えば、室内楽を伴わない2台ピアノ単独版の「動物の謝肉祭」が意外なほど多く、あとは、時おり「死の舞踏」、まれに「ベートーヴェンの主題による変奏曲」というところがせいぜいであるからです。サン=サーンスの世界の奥深さを知るまでには、本格的に2台ピアノに取り組み始めてからでもなお幾年かの歳月を要しました。
或る幸運な出合いに恵まれて、勇壮華麗な「ポロネーズ」(作品77)を初めて演奏したのは、1990年代の半ばのことでした。譜面上で個々のパートを見ればハノンやチェルニーを思わせるような基本音型の羅列と組合せにしか見えないというのに、いざ2台のピアノで合奏すると、予想もつかなかったような豊かな音響が姿を現し、たちまち迫力ある高揚感に包まれるのです。初めて合奏したときの驚きは忘れることができません。今ふりかえると、百回を超えるコンサートを開くに至った現在までの道程の初めの第一歩は、「ポロネーズ」を最初に演奏した瞬間に刻まれたのかもしれないとも思います。「ポロネーズ」に引き続いて、「スケルツォ」、「タランテラ」、「ヘラクレスの青年時代」、「アルジェリア組曲」など、サン=サーンスの2台ピアノ作品に次から次へと夢中で触れてゆくうちに、いつしか、この全貌は一曲残らず自分たちの手で明らかにしなくてはならないのではないか、そうして、どういうやり方をするにせよ、一人でも多くの方々にサン=サーンスの魅力的な世界を広く知っていただくための活動をいつか始めざるを得ないのではないか、という思いを次第につのらせてゆくこととなったのです。
その後、数年の準備期間のあいだに多くの方々に貴重な御教示や御意見をいただきながら、文字通り紆余曲折と試行錯誤のありたけを尽くして、どうにか曲がりなりにも第一回目のコンサート「サン=サーンスとダマーズ」の開催に漕ぎ着けたのは2001年2月のことでした。このような経緯で活動を開始したことから、私たちの最初の十数回のコンサートでは、当然ながらサン=サーンスがもっとも大きな位置を占めています。特に初期の数回は「サン=サーンスと何々」または「何々とサン=サーンス」というタイトルのつけ方で、色々のテーマで選んだ他作曲家の作品と組み合わせながら、コンサートの半分は、毎回異なるサン=サーンスの2台ピアノ作品を紹介することを恒例とする回を重ねました。サン=サーンスの諸作品が、日ごろクラシック音楽に接しないという方々にも素直に受け入れられ、幸いにも皆様に興味深くお聴きいただけたことに、私たちはどれほど助けられたことでしょう。ともかく、サン=サーンスの膨大な2台ピアノ作品がなければ、私たちは今日まで活動を続けていなかったであろうことは間違いありません。仮に、サン=サーンス抜きで2台ピアノのコンサート活動を始めたとしても、二、三回ほどで頓挫していたことでしょう。
ここではっきりと申し上げておきたいのは、サン=サーンスが、フランス近代音楽の礎を築いた作曲家として音楽史上でも特に重要な存在であるという事実です。フォーレ、ドビュッシー、ラヴェルがそれぞれに近代フランスの偉大な作曲家であることは確かですが、その彼らの音楽とて、サン=サーンスのつけた先鞭なくしては存在し得ませんでした。その八十数年に及ぶ長い生涯の間に、古典派の終焉、ロマン派の興隆・爛熟・衰微、近代音楽の誕生・発展、その全てをつぶさに体験したサン=サーンスは、音楽史の上で、ちょうど「要衝」あるいは「分水嶺」というべき特別の場所に立っている人のように思えます。サン=サーンスは、それまでに築かれたバロック・古典・ロマンの音楽の全てに通暁し、それらを統合した上で、近代音楽のあらゆる可能性を自ら切り開き、あまつさえ後年には、新奇さを追求する現代音楽の行く末の予言までも行っています。これはすなわち、後世の人間がサン=サーンスという人物に着目し、そこに軸足を置けば、それより前の古典音楽にも、それより後の現代音楽にも自在に行き来ができるということを意味します。実際、私たちが、初めの何回かのコンサートにおいて、どのような時代の楽曲でも、サン=サーンスの楽曲と並べて大きな違和感もなく、ごく自然に組み合わせることが出来たことのもっとも大きな理由は、まさにここに存在しているように思います。あらゆる時代、あらゆる地域、あらゆる種類の音楽を演奏したいと、かねてより願ってきた私たちにとって、サン=サーンス作品との出合いこそは本当に幸いであったと、今にしてつくづく実感している次第です。
サン=サーンスの2台ピアノ作品(中)に続く