ドビュッシー探求

「子どもの領分」より第1曲「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」

2008/08/15

今回の曲目
音源アイコン 「子どもの領分」より第1曲「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」 2m26s/YouTube

ドビュッシーは一人娘シュシュを溺愛していました。そのシュシュに捧げたこの6曲からなる組曲は、子供の好むおとぎ話のような題材に音楽をつけているように見えます。しかし、誤解してはいけないのは、決して、子供向けの作品ではないということです。ドビュッシーが最も愛した人に捧げた作品ですから、隅々まで考え抜かれています。さまざまな音楽を知り、技術を得ないと、なかなか表現は難しいものです。作曲された年は1909年で、この作品の少し前に、傑作「映像1、2集」が完成され、翌1910年には、代表作「前奏曲集第1巻」が完成されます。これらの音楽はどれも複雑です。子供の領分は、音の個数こそ少ないですが、あらゆる可能性を1音1音に託しています。細かな強弱、アーティキュレーションなど、とても凝っています。ピアノ曲では、このような、一見子供向けのように見えて、実はそうでないという作品はいくつかあります。例えば、ラヴェルの連弾曲「マ・メール・ロワ」もそうです。大人がこういう作品を演奏するには、力強い表現が邪魔になり、かえって難しさがあると思います。


第1曲「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」 クレメンティの練習曲集が題名になっています。これは、1915年作曲の12の練習曲の第1曲と同様に、無味乾燥な練習曲をいやいややっている子供の姿を連想させます。練習曲の第1曲では、とても露骨に、練習曲のつまらなさを表現していますが、この作品ではそれほどでもありません。ただし、冒頭の2小節に対し、その後は複雑な変化が連続します。文学的に考えると、子供の自由なイメージといい加減な練習風景が描写されているように思いますが、むしろ、分散和音のさまざまな変容ととらえた方が表現しやすいのではないかと思います。

演奏上の問題について
 この作品を音楽的に演奏するには、和声に対する理解が欠かせないと思います。まず、出だしの2小節ですが、いくつかポイントがあります。1つ目は、バスのcのオルゲルプンクトの響きを聴きながら右手の16分音符を演奏しなければいけないことです。避けたいのは、バスが全く響かない状態で右手だけが鳴っている状態です。2つ目は、右手の表現です。解釈は2通り考えられるでしょう。つまり、1つは、書いてある通りに16分音符をすべて均等に弾く方法です。もう一つは、右手を分散和音ととらえ、自然な和音の連結として線を表現する方法です。3小節以降では、楽譜に16分音符とともに8分音符や4分音符が書かれていますからそう演奏することは明らかですが、冒頭の2小節は16分音符のみなのでどうすべきかということです。恐らく、ドビュッシーは2小節ごとに、徐々にラインを明確に出していくようにという発想で記譜したのではないかと思われます。従って、最初の2小節は、右手を和音ととらえたときの上のライン、つまり、edfegfa(g)と揺れながら上昇していくラインをさりげなく浮かび上がらせ、和音の下のライン、つまり、gfaghah(c)をそれに従属させ、結果として和声の揺らぎを表現すると良いのではないかと思います。3、4小節では、その上のラインがよりリズミカルに表現され、5、6小節ではレガートで多少ロマンティックに表現されるといった形です。そして、3小節からはバスのラインも動きが出て、ソプラノのラインとの2声体を形成します。並進行、反進行をよく意識するべきだと思います。この部分は、12の練習曲の第1曲と同じで、冒頭から徐々に音楽的に変容していくという形になっていると思います。

 7小節からは、IV7和音の分散和音ですが、これはV、そして和音につながることを意識させます。しかし、9小節で借用IV7になって雲行きが怪しくなり、ついには11小節でa-mollにいってしまいます。さて、この部分ですが、7小節に対し、8小節はそのエコーのように演奏するべきでしょう。9、10小節も同様です。しかし、9小節では借用和音ですから、8小節よりはより曇った音色にするべきです。また、10小節は9小節のエコーですから、結果として7小節をあまり音量を落としすぎないようにしなければいけないでしょう。また、10小節の3、4拍は全音階になっていますから、これは響きとして意識して良いところです。11、12小節はa-mollのV和音で新たな展開を感じさせます。ところが、13~16小節はeを主音とする教会旋法的で、緩んだ経過的な感じが出ています。20小節までは、4分音符ごとに、3和音に2音または9音が付加された分散和音が接続されています。17、18小節はa-moll,h-mollのV9和音の交替ですが、19、20小節はまた教会旋法的で、21小節でa-mollのV7和音の響きですが、その中にC-durのV9(借用)の響きが隠されていて、22小節のC-durに接続します。この部分は経過的な雰囲気を持っていますが、17、19小節などでは音色を変えないと単調になってしまいます。

 22小節からは冒頭と同じ形が始まります。展開部のようにとらえることができるでしょう。冒頭と異なるのは、23小節でバスが動くことです。したがって、上段の4分音符ごとの音符のライン、すなわち、egfisa(g)とバスのライン、すなわちcadh(e)をバランスよく2声体で響かせるべきでしょう。ここでもeを主音とする教会旋法が続きます。24~29小節では、バス、ソプラノの2声をバランスよく歌いながら和音の揺らぎを表現します。また、27小節では、ソプラノは柔らかいスタッカートで演奏するなど、アーティキュレーションや微妙な強弱にも注意が必要です。

 33小節ではB-durに転調します。特に、33、34小節の右手は冒頭の主題のモチーフが2倍の音価になり、しかも2声でかけあいをしていますから、それをさりげなく表現しなければいけません。37小節ではDes-durに転調し、さらに曇った音色で演奏します。テンポはその前より多少早いですが、それは冒頭の雰囲気よりは遅いというイメージの方が演奏しやすいかもしれません。38小節からは下段に右手を飛び越えて新しいラインが出てきます。表情豊かにという指示はありますが、右手のニュアンスは冒頭のニュアンスと寸分変わらない表現を忘れないようにしたいところです。

 45小節では、半ずれして、C-durに転調して再現部が始まります。46、47小節に、冒頭とは違う、カデンツを意識させる強弱指示があります。また、49、50小節では強弱指示がやはり冒頭と異なっています。冒頭より多少表情豊かに表現するように、という指示に見えます。55小節はc-mollのVI和音の5音上方変位和音でしょうか、一瞬不安げで緊張感を与えています。これが57小節からの部分をとても効果的にしています。

 57小節からは、注意する点がいくつかあります。まず、フォルティシモは73小節まで出てこないことです。クレッシェンドは我慢しなければいけません。これは、細かな強弱指示を守ることで、変化にとんだ抑揚を表現できます。速さも、67小節からの部分が音楽的に表現できるテンポから逆算して、あまり速くしすぎないことが大切です。バスにメロディーラインがあります。これは比較的簡単に歌うことができますが、借用和音による音色の変化も同時に表現するべきです。例えば、58小節、60小節の3、4拍、62小節、64小節の3、4拍です。こういったことを注意して最後まで演奏すれば良いと思います。

 和声の質感による音色の変化がないと、本当に練習曲のようになってしまいますが、ドビュッシーはとてもよく考え抜いてこの作品を書いていることを理解しなければいけません。


金子 一朗(かねこいちろう)

1962年東京都に生まれる。早稲田大学理工学部数学科卒。本職は中・高等学校の数学科教諭。ピティナピアノコンペティション全国決勝大会で、ソロ部門特級は2003?4年ともに入選、コンチェルト部門上級で2004年に奨励賞、グランミューズ部門A1カテゴリーで2004年に第1位受賞。2005年における同コンペティション ソロ部門特級でグランプリ(金賞)および聴衆賞、ミキモト賞、王子賞、日フィル賞、文部科学大臣賞、読売新聞社賞、審査員基金海外派遣費用補助を受賞。 第1回ザイラー国際コンクール・イン・ジャパン・フリー部門第2位。第1回北本ピアノコンクールH部門第1位、合わせて全部門での最優秀賞を受賞。2004年10月にリスト国際コンクールマスタークラスにてレスリー・ハワード氏の公開レッスンを受講、オランダ大使館にてリスト国際コンクール主催の演奏会に出演。2005年1月、円光寺雅彦指揮東京フィルハーモニー交響楽団と共演。2005年5月、テレビ朝日「題名のない音楽会21」に出演し、現田茂夫指揮東京交響楽団と共演。 これまでにピアノを角聖子、神野明、北川暁子、K.H.ケンマーリンク、森知英、田部京子の各氏に師事。また音楽理論を中村初穂氏に師事。
著書に『挑戦するピアニスト 独学の流儀』(春秋社刊 2009)

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