前奏曲集第2巻より第4曲「妖精たちは良い踊り子」
今回の曲目
前奏曲集第2巻より第4曲「妖精たちは良い踊り子」 3m48s/YouTube
この作品も第3曲と同様に、ドビュッシーがある挿絵を見たことで霊感を与えられて作曲したようです。その挿絵はArthur Rackhamという挿絵作家のもので、簡単にインターネットなどで検索をすると観ることができます。その挿絵は、「ケンジントン公園のピーターパン」という本に出てくるものです。イギリス趣味が大好きだったドビュッシーですが、それに近いイメージとして我々が最近簡単に触れられるものは、映画「ハリー・ポッター」の映像イメージではないでしょうか。私は、昔さんざん観た、イギリスBBCの作成したシェイクスピア劇の質感がとても役に立っています。
その挿絵に出てくるさまざまな妖精は、我々日本人が思い描く優雅なものではなく、グロテスクで、ケルト文化的な伝承の世界のイメージを持っています。第3曲と同様に、ここでは描写音楽と密接な関係はありますが、その質感や印象が音のイメージになっていると考えられるのではないでしょうか。私には、妖精について、Arthur Rackhamの挿絵を観るよりも、この作品の楽譜を読んでいる方がずっと多くの情報を得られるように思います。とても軽快に空中を動き回り、いたずら好きで小さな妖精のさまざまなイメージが音になっていると考えて良いでしょう。技術的に困難な部分を含む作品ですが、ロシアンピアニズムなどに代表される表現とは対極にあるデリケートな表現が中心となっています。
演奏上の問題について
冒頭の4小節は、右手が黒鍵、左手が白鍵で演奏されます。この曲集では第1曲、第3曲、第12曲などでこういった白鍵と黒鍵の交替する語法が使われています。つまり、この時代によく使われるようになってきた、ハ長調と嬰ヘ長調の複調を彷彿とさせますが、ここはそう考えない方が自然だと思います。むしろ、Es-durの和音が並進行しているなかで倚音がついていると考えるべきでしょうか。例えば、1小節目の1拍目はEs-durのIV和音で、最初のeが倚音として響き、4番目の音esに解決していると考える方が自然です。2拍目は、異名同音でaをbbに読み替えておけばEs-durのIII和音でcがdesに解決し、3拍目はEs-durのI和音で、hがbに解決していると読めます。以後4小節目まで同じように進みますが、ドビュッシーは同じ繰り返しを好みませんから、パターンは微妙に変化しています。2小節目の2拍目は、2番目の音dが倚音となり3番目のdesに解決し、3拍目も2番目の音eが倚音となり3番目の音esに解決しています。更に、この倚音は、1小節目の2拍目だけが半音上行して解決し、他は半音下降して解決しています。だから1小節目の2拍目は前後の拍よりも空間で少し上昇した雰囲気が出ます。2小節目の2、3拍目は単純に音域が上昇していますからそういう雰囲気は強く出ます。倚音と和音の組み合わせを並進行することでこのような効果を生み出したのはドビュッシーが最初だと思います。いずれにしても最初の4小節はとても軽やかに演奏するべきです。私はペダルをほんの少しだけ使うか、全く使わないかという状態で演奏しています。しかし、第1曲「霧」や第12曲「花火」ではむしろペダル中でぼやけた響きをねらっています。似たような語法でも効果は全く違うのです。
さて、この部分ですが、Es-durで説明しようとすると、和音の進行の中に導音がないので困難です。よく読んでみると、この作品は冒頭からEsを主音とするドリア旋法、つまり、es f ges as b ces des (es)であることがわかります。
5~10小節は多少の揺らぎはありますが、Es-durのI和音の響きが中心です。6小節の下段で、ドリア旋法の固有音gesがgに変化していることで突然明るくなった感じがします。しかし、トリルにcesを用いていることでes-mollの響きがあり、全体を少し薄暗くしています。
11~16小節はEsを主音とするドリア旋法です。響きのポイントはdesでしょうか。下段ではVII和音のオルゲルプンクトがあります。11~12小節の右手は難しいですが、ペダルをうまく使い、12小節上段の下声fes es desを左手でとると楽に弾けます。もちろん、中段、下段の音を保持した上で響きのバランスを注意深く考えながらの演奏に鳴ります。そうすることにより、11、12小節のトリルの指使いは、一例として、順に(35) (23) (35) (23) (12) (23)などが考えられます。16小節は物議をかもしているところです。上段のgesがgであるという解釈があるようです。直感的な意見をいわせてもらえば、gだと私には少し響きが明る過ぎると思います。しかし、gだとすると、上段はcisを補うことで移調の限られた旋法MTLIIになりますから妥当性はあります。どちらでもいいですが、突然跳ね上がる感じを、音量としてはあまり大きな音でなく表現できれば良いと思います。21小節までは同じような繰り返しと交替です。subitoのピアニシモ、subitoのピアノにこだわって表現したいところです。また、20小節からは、5連符のグループが順に4、3、1個と減っていき、休符も入ってきますから、リタルダンドをしないでも速度が落ちる雰囲気が出ます。
24~27小節は、ほぼDes-durのドミナントと考えることができます。4小節の間、ずっとバスで断続的にV音がオルゲルプンクトで鳴り続けています。前の部分と雰囲気は変えなければいけませんが、フラット系の響きが中心なので最大音量はメゾフォルテです。また、27小節の1、2拍だけは少し明るいニュアンスが必要です。
28~31小節では長いドミナントのあとにトニックが来ないというドビュッシーの定理がそのまま成り立ちます。中段では短3和音が並進行し、下段では2小節の間、前の部分から続いているオルゲルプンクトが鳴り、28小節ではDes-durの響きですが、29小節ではEを主音とするリディア旋法的、30小節からはC-durのドミナントの響きになります。不気味さの中から徐々に平和な響きへと変化する手法が素晴らしいところです。
32~35小節は「厳格でなく」、つまりある程度自由にルバートして演奏します。半音階が支配的です。32小節では上段と中段で反進行しています。また、33~35小節では中段でcisをオルゲルプンクトとして、gis g fis f eの半音階の流れを表現します。いくらルバートして良いといっても、拍子はとらなければいけません。特に33~35小節では1拍目がタイで結ばれているため、拍子感を出すことはとても重要です。
36~41小節はE-durとG-durの交替が怒ります。細かい強弱の指示を守ると、妖精が浮遊している感じが出ますから不思議です。40、41小節は全音階和音で雲行きが怪しくなってきた感じになります。しかし、ここはシャープ系ですから、次の42小節からの響きよりは明るめにするべきです。
42~51小節はasがオルゲルプンクトになっていて、その上にDes-dur、b-moll、f-moll、As-durなどの各種ドミナントが接続されています。各和音の力関係は、特にドミナントモーションにのっているわけではないのでありませんが細かい強弱の指示は守るべきです。特に48小節のメゾフォルテは、この和音が次の和音の倚音的な意味を持っているためです。また、ここは曲中で唯一ヘミオラが用いられているところです。50小節のメゾフォルテの和音も倚音的な繰り返しと予想させますが、そうではない意外さを表現したいところです。51小節はDes-durのドミナントとして感じるところだと思いますから、バスのasは52小節のdesに向かう必要があります。
52~56小節は、全体としてはDes-durのトニックの響きです。その中に、53小節からの中段に、b ces cとdesに向かう半音階の進行があります。また、55小節には、57小節以降にある急速なアルペジオが予出されます。
57~66小節は急速で軽やかなアルペジオ、息の長いメロディー、そして和音という多声的な音楽です。上段にあるアルペジオはAs-durのV7和音で、中段はメロディーを除けばf-mollのV9和音です。メロディーは、下降音型のときはG-durの響き、上行音型のときはd-mollの響きになっています。とても不思議な構成音のメロディーです。いずれにしても、軽やかなアルペジオに滑らかで息の長いメロディーをうまく音楽的に組み合わせて表現しなければいけません。
67~72小節は、58小節からのメロディーの変奏ですが、微妙に構成音が異なります。また、和音の変化も同様に段ごとにことなります。73小節に向かいつつ、微妙な抑揚が必要になります。73小節では、トリルの冒頭のsfからすぐにピアノに変化しなければいけません。73~100小節は基調はC-durのドミナントですが、中段でメロディーとともに和音が並進行しています。「柔らかく、夢見るように」とある中段のメロディーはとてもデリケートに表現したいところです。また、響きが多層的にならなければいけません。79~81小節では少し不安げな響きになりますが、それは異名同音で読み替えたcisによるものです。同じフレーズが2回出てきますが、例えば、81、98小節のようにアーティキュレーションが違っています。細かい強弱の指定は、シンコペーションの効果によるものであったり、音域の急激な変化によるものであったり様々ですが、すべて守りましょう。
101小節からは冒頭部分とそれほど変わらない再現です。109小節からは、映像第2集の第3曲「金色の魚」に出てくる響きととても似ている部分です。117小節からは、58小節からの部分の余韻ですが、微妙に構成音が異なり、ここはB-durのドミナントの分散和音ということができます。つまり、58小節からの部分の複雑なメロディーは、この最後に出てくる余韻のメロディーの構成音を少しずつゆがめてずらしたものだったわけです。第3曲と同様、終わりの部分は音符の長さを守った方が良いでしょう。
とてもデリケートで複雑な響きをもつ、ドビュッシーならではの傑作です。
1962年東京都に生まれる。早稲田大学理工学部数学科卒。本職は中・高等学校の数学科教諭。ピティナピアノコンペティション全国決勝大会で、ソロ部門特級は2003?4年ともに入選、コンチェルト部門上級で2004年に奨励賞、グランミューズ部門A1カテゴリーで2004年に第1位受賞。2005年における同コンペティション ソロ部門特級でグランプリ(金賞)および聴衆賞、ミキモト賞、王子賞、日フィル賞、文部科学大臣賞、読売新聞社賞、審査員基金海外派遣費用補助を受賞。
第1回ザイラー国際コンクール・イン・ジャパン・フリー部門第2位。第1回北本ピアノコンクールH部門第1位、合わせて全部門での最優秀賞を受賞。2004年10月にリスト国際コンクールマスタークラスにてレスリー・ハワード氏の公開レッスンを受講、オランダ大使館にてリスト国際コンクール主催の演奏会に出演。2005年1月、円光寺雅彦指揮東京フィルハーモニー交響楽団と共演。2005年5月、テレビ朝日「題名のない音楽会21」に出演し、現田茂夫指揮東京交響楽団と共演。
これまでにピアノを角聖子、神野明、北川暁子、K.H.ケンマーリンク、森知英、田部京子の各氏に師事。また音楽理論を中村初穂氏に師事。
著書に『挑戦するピアニスト 独学の流儀』(春秋社刊 2009)