ドビュッシー探求

前奏曲集第1巻より第12曲「ミンストレル」

2008/02/15

今回の曲目
音源アイコン 前奏曲集第1巻より第12曲「ミンストレル」 2m57s

アメリカ風のミュージック・ホールのエンターテイナー、ダンサー、パントマイマー、ジャズなどの様相が、ドビュッシーにしては幾分派手でグロテスクに描かれています。そもそもアメリカという国が持っている趣味は多様ですが、総じてドビュッシーの考える繊細で控えめなものとは異なるように思います。それでもドビュッシーは彼なりの解釈でそういった異なる趣味を表現しました。ドビュッシーは1音ごとにとても細かいニュアンスをつけて、可能な限りの遊びを表現しました.本来は即興的に演奏されるべきものを忠実に楽譜に書いているように思えます。


演奏上の問題について
 まず、最初に、「中庸のテンポで」とあります。これはモデラートと考えて良いと思います。そして、「激しく、ユーモアをもって、いらだつように」などとあり、「装飾音は強拍とともに」とあります。表面的には、12小節目の最後にト長調のIVの和音が出てくるまでは、ト長調のIとVの交替しか見えてきません。こんなに単純な和声進行ですが、響きが単純に聞こえないのはたくさんの工夫があるからです。まず、和声としては、1小節目の右手に変ロ音があります。たったこの1音だけで、右手に全音階のニュアンスを作っているのです。そして、細かいアーティキュレーションは毎回異なるように書かれています。1~4小節の右手だけをみてみましょう。1小節2拍目のfisには、スタッカートとテヌートとアクセントが同時についています。これは、この音だけ、「突然」鋭く演奏するということです。それに対して、同じモチーフの2小節目は、徐々にクレッシェンドして、2拍目の3つのfisをスタッカートで「同じように」(デタッシェのニュアンスで)演奏します。普通、強拍のあとの同音連打はディミヌエンドしますが、むしろ、ここは3つ目の8分音符のfisに向かって進む感じでしょうか。そして3小節目ではまた「突然」ピアノになって、今度は1小節目と異なり、2拍目のfisに向かってクレッシェンドして、しかも2拍目の最後は2小節目と異なってディミヌエンドして、4小節目は「突然」ピアニシモになるのです。これを「風刺をもって」大げさに表現するには、速いテンポでは不可能です。また、リズムの面白さを装飾音の響かせ方を考えて演出したいものです。同じように細かいニュアンスの違いが5~8小節について表現されています。

 9~10小節では、この曲集で至る所に現れる2度重ねのパッセージで始まります。何もニュアンスの変化は書かれていませんが、音型の上下にあわせた自然な強弱はあって良いでしょう。ここから34小節までの間、常に弱起となっていて、シンコペーションが続きます。体では正しく2拍子を感じていないとリズムの面白さが出ません。和声的には15小節まではロマン派までの語法で説明がつき、単純です。しかし、そういう場面が長ければ長いほど、ドビュッシーは裏切り行為をします。案の定、16小節でト長調のトニックに解決すると見せかけて、左手の半音階進行の強烈な3度のパッセージによって、反ずれした嬰ヘ長調にいきますが、18小節後半ですぐにまたト長調に戻ります。こういう意外な部分にドビュッシーはしっかりと音を主張するように指示しています。また、この作品は、両外声が並進行していることが多いのですが、この18小節は珍しく反行形で、それもあわせたクレッシェンドになっています。19~26小節は同じような繰り返しですが、アーティキュレーションが微妙に異なっています。特に22小節に突然レガートにしたりする部分は、それこそ「激しくユーモアをもって」演奏したいところです。

 26小節からは突然変ホ長調に転調しますが、fisを異名同音でgesに読み替えています。そのニュアンスの違いも表現できるとよいでしょう。音には現れないかもしれませんが、16小節の転調に比べ、少し柔らかい感じでしょうか。28小節では変イ長調に転調しています。ここでも両外声が並進行していてしかも、29小節の2拍目で突然のクレッシェンドがあって、いびつなリズムでユーモアを表現したいところです。32小節からは第2主題がまた現れますが、これまでと同様に微妙なアーティキュレーションの違いをすべて表現したいところです。似たフレーズが出てきたときに、何番目ではどういうニュアンスかをすべて理解して弾き分けないと単調になります。35小節からはバスでト長調の響きが続いていますが、そこに「からかうように」右手に並進行の和音が現れます。半音階に進行していますがニュアンスとしては全音階の響きが支配的です。39小節のバスには9小節目のリズムモチーフが現れています。こういう部分がだらけないように工夫されています。もちろん、このオクターブのパッセージは、右手の響きを消さないように弾かなければいけません。44小節まで、全音階和音が並進行していきますが、44小節の2拍目で嬰ヘ長調のドミナント的な役割の和音で突如さえぎられます。その前の、バスのcisは、45小節のfisに向かうので、その意識は大切です。

 45小節から49小節の最初までは、完全に8分音符ずれた状態で書かれていますが、何気なく弾いてしまうと面白くない2拍子になってしまいます。しっかりと小節線と拍子を意識するべきです。そして、subitoのピアノなどを正確に守りたいところです。ここも和声的には普通のカデンツと考えて良いのですが、49小節で反ずれしてト長調に変わります。その意外さをsubito ピアノで表したいところです。また、アーテキュレーションにも注意したいところです。そして、51小節ではまた反ずれして変イ長調になっているように見えます。もちろん、ここは変ホ長調ですが、そのIV和音がそう感じさせるところです。いずれにしても、その意外さがピアニシモに現れています。ただし、ここは3和音が並進行していますから、和声を分析するとカデンツになっているように見えますが、そのニュアンスは希薄です。遠隔調に不連続に転調していることでふざけた感じを出したいところです。55小節ではまた反ずれしてホ長調になっていますが、57小節でト長調に戻ります。この部分の細かい強弱はすべてsubitoに変化しているととらえるべきだと思います。58小節ではト長調のトニックに解決するとみせかけて、ここまで一度も出てこなかった3連符を用いて「太鼓のような」連打が続きます。63小節からは、両外声が並進行しているところと反進行しているところを微妙にニュアンスを変えながら65、66小節のト長調カデンツを丁寧に表現するところです。もっとも、このカデンツもよく見ると古典和声ではとんでもない禁則の平行5度になっています。しかもそれがわざと目立つようにしているところがドビュッシーのユーモアです。そして、これが不思議と違和感なく受け入れられてしまうところも面白いところです。しばらくト長調の響きが72小節まで続きます。ここも細かいアーティキュレーションを正確に表現したいところです。

 73小節では65小節と微妙に異なり、反ずれ転調の予感をさせますが、結局はそうならず、74小節でハ長調のドミナントになり、76小節の2拍目でト長調のドミナント的な響きになって78小節に落ち着きます。ここからはまたアーティキュレーションの違いを忠実に表現しつつ、82~84小節を、次に何がおこるかわくわくさせるような気持ちになるように、いわば、体を思いっきり小さくして、突然飛び出るびっくり箱のような感じで表現したいところです。85小節からは、おもいっきり元気に明るく表現して終わります。もちろん、フォルテとフォルティシモの違いは注意したいところです。

 こういったユーモアで曲集全体を終わるところがとてもお洒落です。どこまでもふざけた感じを、しかし楽譜に忠実に表現すると良いのではないかと思います。 前奏曲集全12曲は、本当に素晴らしい傑作で、レパートリーにすれば一生の宝物になる作品だと思います。


金子 一朗(かねこいちろう)

1962年東京都に生まれる。早稲田大学理工学部数学科卒。本職は中・高等学校の数学科教諭。ピティナピアノコンペティション全国決勝大会で、ソロ部門特級は2003?4年ともに入選、コンチェルト部門上級で2004年に奨励賞、グランミューズ部門A1カテゴリーで2004年に第1位受賞。2005年における同コンペティション ソロ部門特級でグランプリ(金賞)および聴衆賞、ミキモト賞、王子賞、日フィル賞、文部科学大臣賞、読売新聞社賞、審査員基金海外派遣費用補助を受賞。 第1回ザイラー国際コンクール・イン・ジャパン・フリー部門第2位。第1回北本ピアノコンクールH部門第1位、合わせて全部門での最優秀賞を受賞。2004年10月にリスト国際コンクールマスタークラスにてレスリー・ハワード氏の公開レッスンを受講、オランダ大使館にてリスト国際コンクール主催の演奏会に出演。2005年1月、円光寺雅彦指揮東京フィルハーモニー交響楽団と共演。2005年5月、テレビ朝日「題名のない音楽会21」に出演し、現田茂夫指揮東京交響楽団と共演。 これまでにピアノを角聖子、神野明、北川暁子、K.H.ケンマーリンク、森知英、田部京子の各氏に師事。また音楽理論を中村初穂氏に師事。
著書に『挑戦するピアニスト 独学の流儀』(春秋社刊 2009)

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