前奏曲集第1巻より第1曲「デルフィの舞姫たち」
今回の曲目
前奏曲集第1巻より第1曲「デルフィの舞姫たち」 3m10s
複数の資料に載っているので確かだと思われることの1つに、ドビュッシーは、古代ギリシャの神殿をバックにして静かに踊る舞姫たちの写真をもっていたといわれています。舞姫たちは、恐らく、神を祀るための儀式として踊っていると思われます。この写真からドビュッシーはこの作品を作曲したと想像されますが、また一方で、ドビュッシーは演奏家がそういった標題音楽的な解釈をすることを好まないとも言っていたようです。しかし、ドビュッシーは古代ギリシャの美術や建築、そして神話などからたくさんのインスピレーションを得ていることは確かです。我々は、ドビュッシーの作品を演奏するにあたり、初期のいくつかの作品を除けば、これらの知識や感性が、演奏する際の趣味性に大きく影響を与えることは知っておくべきです。
この作品は、さまざまな議論はあるようですが、4小節だけが4拍子でほとんどが3拍子で書かれています。また、Lent et Grave とあり、四分音符44の速度も指定してあります。また、最大音量の指定はフォルテまででほとんどが弱奏です。そして和音が多層的に重なっています。これらのことから類推できる演奏スタイルは、
1.劇的に演奏しない
2.サラバンドのようなゆったりとした舞曲で、テンポルバートを避ける
3.立体的な響きをもって演奏する
となります。2のテンポルバートを避けるという意味は、楽譜から読みとれます。4拍子になっている4小節についてですが、10小節は前半の終わりでリタルダンドの替わりに1拍増えていて、4、9、16小節はクライマックスでアラルガンド的に1拍増えていると考えられます。もし他の部分をテンポルバートにすると、1拍増やすことでルバートを表現しているその指示自体に意味がなくなるからです。だからテンポルバートは避けるべきです。そもそも、ゆっくりとしたテンポの場合、総じてルバートは拍子感を聴き手にわかりにくくするため、避けるべきです。3については、この作品が前奏曲集の2巻であれば、絶対に3段楽譜で書いていると言えるほど、声部がたくさんあります。和音の変化も微妙なので、そういったことをすべて表現した演奏ではじめてこの作品の良さが出ます。
演奏上の問題について
この作品はゆっくりですが非常に難しい作品です。
まず、テンポについてですが、四分音符44というテンポをメトロノームで調べてみましょう。意外に速いと感じる場合、拍子の単位が8分音符で感じてしまってると思います。あくまでも4分音符単位で感じるべきです。このテンポより速くてはゆったりとした感じが出ませんし、遅くてはサラバンドのような舞曲のニュアンスが損なわれます。このテンポ感の難しさは、ラヴェルのト長調のコンチェルトの第2楽章に通じるところがあります。
リズムは、特に付点は正確に演奏すべきです。例えば6~8小節などのように、跳躍を伴う付点であっても、1~4小節と全く同じように演奏すべきです。
多層的な響きにならないと面白くありません。そのために工夫をすることはあってよいことです。例えば、7,8,9小節の16分音符のオクターブを左でとると、演奏者によってはより多層的な響きになるかもしれません。
1~5小節に対して、6~10小節は響きが厚くなってよりはっきりとした響きになります。1小節では、f→g→aのライン、b→h→c→cisのラインの独立した響きを片手で行うこと、そして、これらの反行形としてバスのb→a→fを、ほぼ同格のバランスで演奏することが重要です。また、和音についても、1拍目のトニック、2拍目の下方変位の根省ドミナントから根省ドミナント、そして3拍目の上方変位ドミナントと変化し、そのcisはメロディーとしては2小節目のbに進みますが、和声的には2小節目のdに進みます。このことは、トニックへの従属性の強いものであった3拍目の和音が、ドビュッシーにおいてより独立性の強いものになっていることを意味します。いずれにしても、これら1つずつの和音の響きの独立性とニュアンス、そしてこれらの揺らぎの質感を表現します。単純に見える1小節目だけでもドビュッシーはさまざまなことを考えていると思います。音楽的に演奏することは極めて困難です。3~4小節では、ドビュッシーは1拍ごとにsubito Pの指定をして、小さなクレッシェンドを書いています。また、バスの半音階進行がありますから、これを意識するべきです。しかし、これも含め、ロマン派なら4小節目2拍目まで大きくクレッシェンドするところですが、そういった大袈裟な表現を嫌っている趣味によるこの指示の価値観を理解したいところです。4小節では、2拍目は変ロ長調のトニックで、この響きを3拍目の終わりまで残した状態でsubito PP の8分音符和音をおぼろげに演奏します。ここも多層的な表現が重要です。5小節は、ほとんどritをしないで演奏し、6小節につなげるべきだと思います。9小節の2拍目からの8分音符は5小節と違い、mf の響きでしっかりと和音を演奏します。
11小節からの部分も1小節目などと同様のことに注意して演奏します。14小節までクレッシェンドの指示はありませんので、これも注意すべきです。
12小節の2拍目、右手の2分音符dですが、これを響かせることは極めて困難です。ぼくは楽譜どおりに弾きますが、右手の1の指で弾くラインを左手で演奏し、指使いをdが2になるように変更すると響きやすいですから、試すことは良いと思います。しかし、ドビュッシーの場合、和音の構成音の左右の手の配分を変更すると響きの質感が変わってしまうので実施する場合は響きについて細心の注意が必要です。
16小節の最大音量はフォルテで、それも強いものではなく、響かせるニュアンスですから、そこまでのクレッシェンドはし過ぎないことが大切だと思います。18小節は、そこまでのハ長調に、借用のVI和音が響きます。cの音に重ねるように弾き、今度はその和音の響きの中にd→fのラインをつなげます。同様のことを続けて中間部分の終結、20小節に落ち着くように、しかも、徐々に響きを薄くしていきます。21小節では、変イ長調に突然転調し、さらに変ハ長調などのフラット系の和音が出てきますから、22小節にかけて音色を徐々に曇らせていくと良いでしょう。23,24小節でも、最初はフラット系の和音、24小節からはシャープ系の和音で、その明るさの変化がデュナーミクの変化として書かれています。強弱を守るというよりも和音の調のもつ相互関係を考えて表現すれば自然とこういう強弱になると思います。25小節から最後までも微妙な明るさの違いと和音を重ねて響きを立体的にすることに注意して表現します。27小節から29小節にかけてのバスのf→bの進行はすべて異なるニュアンスで表記されています。こういった部分にまで神経を払うことで、聴き手にはわからない隠し味ができるのです。最後のフォルテは強すぎないで演奏したいところです。
たった31小節の音楽ですが、ドビュッシーの響きに対するこだわりが細部にまでいき渡った傑作です。
1962年東京都に生まれる。早稲田大学理工学部数学科卒。本職は中・高等学校の数学科教諭。ピティナピアノコンペティション全国決勝大会で、ソロ部門特級は2003?4年ともに入選、コンチェルト部門上級で2004年に奨励賞、グランミューズ部門A1カテゴリーで2004年に第1位受賞。2005年における同コンペティション ソロ部門特級でグランプリ(金賞)および聴衆賞、ミキモト賞、王子賞、日フィル賞、文部科学大臣賞、読売新聞社賞、審査員基金海外派遣費用補助を受賞。
第1回ザイラー国際コンクール・イン・ジャパン・フリー部門第2位。第1回北本ピアノコンクールH部門第1位、合わせて全部門での最優秀賞を受賞。2004年10月にリスト国際コンクールマスタークラスにてレスリー・ハワード氏の公開レッスンを受講、オランダ大使館にてリスト国際コンクール主催の演奏会に出演。2005年1月、円光寺雅彦指揮東京フィルハーモニー交響楽団と共演。2005年5月、テレビ朝日「題名のない音楽会21」に出演し、現田茂夫指揮東京交響楽団と共演。
これまでにピアノを角聖子、神野明、北川暁子、K.H.ケンマーリンク、森知英、田部京子の各氏に師事。また音楽理論を中村初穂氏に師事。
著書に『挑戦するピアニスト 独学の流儀』(春秋社刊 2009)