スケッチブックより
今回の曲目
スケッチブックより 5m15s/YouTube
作品の名前が、デッサンなどの未完成な作品、あるいは本気で書かれていない作品のようなイメージを与えるためか、この作品は有名ではありませんが素晴らしい作品です。全体にゆったりとして静かな音楽です。全段が3段譜で書かれていることからも容易に想像がつきますが、立体的で多層的な響きは、同時期の傑作「映像1集」に決してひけをとりません。また、頻繁な調性の揺らぎ、全音階(半音を用いない音階)という、ドビュッシーの代表的な語法とともに、この作品ではモチーフの統一性がはかられています。イメージとしては、揺れ動く水面と流れ、そこに反映される光と影という点で、映像第1集第1曲「水に映る影」とニュアンスが近いと思います。ただし、「水に映る影」の方が、より強烈な光を持ちますが。
最後はプラガル終止で、しかも空5度の幅広い、透明感のある響きで終止します。
演奏上の問題について
全体に、立体的な響きがないとつまらない音楽になると思います。例えば、録音などではなかなか残りにくいですが、1小節から3小節にかけては、4つの声部の響きのバランスをすべて聴きながら演奏し、例えば、3小節目の最後は、下からges、as、es、bの4音がバランスよく響きとして残るように工夫します。
1小節目と4小節目は同じピアニシモですが、1小節のアルトにある最後の音gと4小節のアルトにある最後の音aでニュアンスを変える必要があると思います。コツとしては、1小節目のgは、ges→g→gesのラインの揺らぎで表現し、4小節目は、ラインとしてはありませんが、4小節から5小節にかけてb→a→bという響きの揺らぎを表現すると良いと思います。
6小節目から8小節目までは上声部はDes-durのIの和音と、Fes-durのV7の和音の揺らぎで、バスはそのFes-durの7音なので、6小節目はバスと上声部で響きの衝突が起こっています。それに対し、9、10小節目はG-durのV7の和音の響きで、6~8小節のフラット系のこもった響きから突然シャープ系の明るい響きに変わることで、雲間から薄日がさすような感じで音色を変えると良いと思います。
11、12小節ではまたフラット系のDes-durでテーマが出てきますが、もとの曇った響きにもどすべきだと思います。下段の和音の音質の変化の指定は性格に守らないと単調になります。また、29,30小節と違い、可能な限り静かにテーマを演奏するべきだと思います。13から15小節は1小節ごとに強弱、ニュアンスを変える指定がありますが、これも守らないと単調になります。また、13~15小節では縮節を利用して16小節で転調したAs-durのV13の和音の意外さを演出すると効果的だと思います。16~19小節も小節ごとに和音の調性が変わりますが、調性よりも上段のdesとdの揺らぎ、中段のgとasの揺らぎを、曇りと薄明かりといった感じで表現すると美しいと思います。
20小節から28小節までは、19小節から始まったEs-durのV13の和音の響きが長く続きます。ここが単調にならない方法の1つは、可能な限りクレッシェンドとアッチェレランドを遅らせること、先に少しずつクレッシェンドをして、その後アッチェレランドをかけるといった感じで演奏することです。しかも、上段は、最初の5小節間で音域が上昇し、下段では伴奏音型が23小節から速くなること、24小節の上段では後半で音が厚くなるなど、何もしなくてもクレッシェンドとアッチェレランドがかかった感じになるので、それを計算に入れると良いでしょう。25~28小節は上段、中段、下段はすべて音質を変えなければいけないと思います。
前述の通り、29小節からの再現部テーマは、11小節のそれとは異なり、ダイナミックに表現したいです。31小節は全音階的なくすんだ安定感のないニュアンス、32~33小節はIV→Iの進行のニュアンスに近いと思います。29~32小節の展開として33~37小節は解釈できると思います。従って、ここは積極的に表現したいですが、フォルティッシモはないので節度が必要だと思います。38~40小節は13~15小節と同じですが、次の展開がコーダになるので41小節はよくテヌートをかけたいところです。アドリブの部分は最初の上行アルペジオはクレッシェンド、次の上行アルペジオはディミヌエンドで、後半がエコーになっているように演奏したいです。45~47小節は冒頭の部分の回想です。48~49小節の装飾音は拍のどこに入れるか意見が分かれると思いますが、わたしは拍の頭に入れるべきだと思います。それは、装飾音がそのまま和音として保持される形で書かれているためです。50~52小節は本当に遠くで鳴っているように弾きたいです。51小節の下段最後のdesは、52,53小節の空5度の響きの構成音として残したいので、52小節の頭でペダルを踏み変えてこの音だけを響きとして残したいところです。52小節の上段の和音は弱い音ですが、硬質で光をもった響きでバスの深い響きとコントラストをもちたいと思います。
1962年東京都に生まれる。早稲田大学理工学部数学科卒。本職は中・高等学校の数学科教諭。ピティナピアノコンペティション全国決勝大会で、ソロ部門特級は2003?4年ともに入選、コンチェルト部門上級で2004年に奨励賞、グランミューズ部門A1カテゴリーで2004年に第1位受賞。2005年における同コンペティション ソロ部門特級でグランプリ(金賞)および聴衆賞、ミキモト賞、王子賞、日フィル賞、文部科学大臣賞、読売新聞社賞、審査員基金海外派遣費用補助を受賞。
第1回ザイラー国際コンクール・イン・ジャパン・フリー部門第2位。第1回北本ピアノコンクールH部門第1位、合わせて全部門での最優秀賞を受賞。2004年10月にリスト国際コンクールマスタークラスにてレスリー・ハワード氏の公開レッスンを受講、オランダ大使館にてリスト国際コンクール主催の演奏会に出演。2005年1月、円光寺雅彦指揮東京フィルハーモニー交響楽団と共演。2005年5月、テレビ朝日「題名のない音楽会21」に出演し、現田茂夫指揮東京交響楽団と共演。
これまでにピアノを角聖子、神野明、北川暁子、K.H.ケンマーリンク、森知英、田部京子の各氏に師事。また音楽理論を中村初穂氏に師事。
著書に『挑戦するピアニスト 独学の流儀』(春秋社刊 2009)