「チェルニー30番」再考

45. 「30番」再考 ~ 第26番―ギター風の伴奏音型と中音域の旋律

2015/04/13
第二部「30番」再考
45. 「30番」再考 ~ 第26番―ギター風の伴奏音型と中音域の旋律

 「30番」のなかでも、第26番「アレグレット・ヴィヴァーチェ(やや快速に、生き生きと)」は、ト短調のもの憂げなメロディがどことなく心をひきつける小品です。この曲は様式の観点からも、メカニスムの観点からも念入りに書かれているので、聴く耳にも充実感を与えてくれます。
 次の譜例は第26番の冒頭です。

連打を可能にしたピアノの打弦機構

 メカニスム上の難しさは、第一に右手の連打と分散和音の組み合わせです。スタッカートの軽やかな連打を4-3-2-1の異なる運指ですばやく、かつ均質に打鍵する方法です。ピアノの急速な連打が可能になったのは、楽器制作技術の発達のおかげでした。1822年にパリでピアノ・ハープ製造者のエラールが特許を取得した「ダブル・エスケープメント」システムは、打鍵の直後、すぐに弦を打つハンマーが下り切らないで、一瞬弦の近くに留まってから完全に下りる、つまり「エスケープ」するという2段階でハンマーを下ろす新しい機構でした。チェルニーが「30」番を出版したころにはこのシステムを備えたピアノ既に広まっており、フンメルカルクブレンナーなど多くのピアニスト兼作曲家たちによってその可能性が探求されていました。「30番」では第12番も連打の練習曲です。
 ただし、第26番は第12番とちがって連打する音は4つで、しかも単に連打を繰り返すのではなく、スタッカートの連打のあとにレガートの分散和音が続いています。この切り替えが、12番で課される難しさです。

ギターと連打音

 ところで、なぜピアニスト兼作曲家は連打を探求したのでしょうか?一般に、楽器になんらかの改良が加えられると、まずそれによって可能になる新しい技術を取り込むためにメカニスム重視の練習曲が書かれます。これを第一段階とすれば、第二段階では、メカニスムはなんらかの表現様式に当てはめられ、表現と結び付けられます(これを「様式化する」といいます)。
 同音連打の技巧に関して言えば、ダブル・エスケープメントがすでに普及していた1856年に出版された第26番は丁度、この様式化の時期にさしかかっていたといえます。
 では、チェルニーは連打の技巧をここでどのような様式に当てはめているのでしょうか。可能性として指摘できるのは、ギター作品の様式を備えた作品ということです。ここで、当時のギターの技法を一瞥しておきましょう。

フェルディナンド・ソルのギター・メソッドから

 19世紀、ピアノほどではありませんがスペインを中心にギターの作曲家が少なからず存在しました。パリで活躍したバルセロナ出身のフェルディナンド・ソルFerdinado SOR(1778~1839)はパリに14年ほど滞在したことのある名ギタリスト作曲家で、1830年にフランス語で書かれた『ギター完全教程』1を出版しています。

フェルディナンド・ソル

 手のポジションや運指、図版をふんだんに使用し、高度な練習曲集を含んでいるこの教程は高い教育的な価値が認められ、ソルの没後、1851年にソルと親交のあったギター奏者ナポレオン・コストNapoléon COSTEによって改訂 版が出版されました。つまり、チェルニーの「30番」と同時代に良く知られていた教則本だということになります。
 さて、この改訂版のなかで、ギターの同音連打は次のように解説されています。

反復され、急速なスタッカートで奏され、和声伴奏のつけられたパッセージは時として素晴らしい効果を生み出す(下の譜例24を見よ)。このパッセージの運指は、[撥弦する]右手について言えば、和声をつくる2本の弦と3音符の各グループの最初の音を親指だけで弾き、次の指の順序で続きを引く。親指→中指→人差し指。 譜例 24 譜例24 2
譜例2

フェルディナンド・ソル《26の練習曲集》第13番 第1~4小節

フェルディナンド・ソル《26の練習曲集》第13番 第1~4小節

 改訂版に見られる「反復され、急速なスタッカートで奏され、和声伴奏のつけられたパッセージ」という譜例の解説は、そのまま譜例1に示したチェルニーの第26番の書法に当てはまります。では、この書法が生み出す「素晴らしい効果」とはどのよな効果なのでしょうか。

カスタネットを想起させる連打

 連打はスペインやポルトガルの舞踊に用いられるカスタネットを想起させるので、楽曲にローカルな風情を与えるのに重要な素材と見做されました。ポルトガルの王妃に仕えていたドメニコ・スカルラッティ(1785~1857)はチェンバロのために書いたニ短調ソナタでこの音型を用いています。

 スカルラッティのソナタ集をピアノ用に校訂したチェルニーはチェンバロ時代からのこの伝統をもちろん熟知していていました。チェルニーは、同音連打とアルペッジョというギターと関係の深い音型を用いることで、第26番を通してギターの興趣をかもし出そうとしたのではないでしょうか。

中音域の旋律

 第9小節から始まる中間部に関して、チェルニーは更に「同音連打+和声」というテクスチュアに新しい要素を付け加えています。それは、下の譜例4でマークをつけた中間部のレガートの旋律です。

1840年になると、パリ音楽院ピアノ教授ヅィメルマンは自身のメソッドの中で、この点について、以下のように述べています。

ピアノ製造の進歩は、タッチの方法に進歩をもたらした。かつて弱々しかった中声部は、今日では(とりわけグランド・ピアノでは)旋律が最もよく展開される声部となっている。[中略] 歌唱的旋律は、はじめは高音声部に置かれていたが、[弦の]振動に欠陥があったり、力強い音、しかも乾いておらず甲高くない音を出すことが難しいことから、今では歌唱風の旋律を奏でるにはピアノの中声部が好まれている。このような旋律の扱い方のおかげで、ピアノは高貴さを帯び、様式は気高いものとなった3

 ピアノの弦の改良、より長い弦を用いることによる豊かに持続する響きがもたらされたことによって1840年ころには歌唱風の旋律は中音域に配置されることが好まれました。チェルニーの門弟タールベルクは中音域の旋律を複雑なアルペッジョと組み合わせることで数々の新しい技法を生み出しました4
 チェルニーは第26番で、人声に近い中音域を連打の音型に重ねてリズムの伴奏と旋律を同時に鳴り響かせています。このように、彼はギター風の性格をもつ様式に、1830年代に発展したピアノ特有の中音域の旋律を組み込んで、特徴的な練習曲に仕上げています。

  1. Ferdinando Sor, Méthode pour la guitare, Paris, l'auteur, 1830.
  2. Ferdonand SOR, Méthode complète pour guitare, rédigée et augmentée de nombreux exemples, avec une notice sur la septième corde, Paris, Schonenberger, 1851, p. 21.
  3. Pierre-Joseph-Guillaume ZIMMERMAN, Encyclopédies du pianiste compositeur, Paris, chez l'auteur, p. 27.
  4. 譜例は『ピアノ曲事典』、タールベルクの項目参照。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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