「チェルニー30番」再考

38.「30番」再考 ~ 第6番:重力に逆らって舞う舞踏的スタイル―森の情景

2015/02/12
第二部「30番」再考
38.「30番」再考 ~ 第6番:重力に逆らって舞う舞踏的スタイル―森の情景

今回は、「軽快なアレグロ(Allegro leggiero)」という指示を持つ6番のスタイルに注目してみましょう。

ここでは、2つの特徴に注目して様式を解釈していきます。

特徴1 : ひらひらと舞う右手

まず、この曲では右手に上下に動く断片的な音階が4回提示され、その後に1オクターヴ半を一息に下る音階が続きます。

各断片の末尾にスタッカートを伴う軽快な右手は、下りたかと思うとまた上昇する、ひらひらと舞う蝶か木の葉のようです。しかし、その動きは決して不規則ではなく、律動的でちょうど重力に逆らって舞うバレエ・ダンサーのようです。

特徴2 : ホルンの登場

主観的な比喩を多用しましたが、この冒頭の舞踏的リズムに、情景的なイメージを喚起する響きが主題回帰の直前に現れます。譜例2は第16~20小節にかけて左手に現れるホルンの音型です。

5度(ソ-レ)から3度(ド-ミ)に進行する完全5度の音程は「ホルン五度」と通称される音程で、オーケストラのホルンパートによく登場します。オペラやバレエの舞台でこの音型が出てくればそれは直ちに狩りの情景や森の情景が問題となっていることが観客に分かります。

チェルニー「30番」、第6番のルーツ?―重なる2つの特徴

ところで、実は、この練習曲によく似た練習曲が、チェルニーよりも9年早い1847年にフランスで出版されています。それは、パリで活躍していたフランスのピアニスト兼作曲家、アンリ・ラヴィーナ(1818~1906)の《様式と向上の練習曲集》作品14という作品の第1番です。まずは聴いてみましょう。

参考音源
演奏:林川 崇

ラヴィーナは非常に豊かな和声、卓越した演奏技量と洗練された都会的趣味で当時の演奏会、サロンにおいて非常に重視された音楽家でした。では、以下の譜例の冒頭と上のチェルニーの冒頭を比較してみましょう。

 ラヴィーナの場合は、36分音符の音階と分散和音が交互に配置されますが、上行・下行を交互に繰り返し、フレーズの終わり(第4~6小節)にかけて連続的な音階が配置されている(但しラヴィーナの場合は上行形)点はチェルニーと全く同じです。性格的な観点から見れば、両者に共通する特徴は、「軽快leggiero」さです。ラヴィーナの例では、冒頭に「飛びまわるようなアレグロAllegro volteggiando」というテンポ表示が記され、さらに曲の開始部分には「ショルトSciolto」とあります。この単語は、縛りから解かれて自由な、身軽な、という意味の言葉です。つまり、重力に逆らって、ひらひらと自由に舞うというニュアンスが指示されています。

 更に、チェルニーの「特徴2」で見たホルンの音型もラヴィーナの練習曲、しかも再現部直前という同じ位置に現れます(譜例4)。

まとめ

さて、今回の比較から導き出せるのは、チェルニーの第6番はフランス的な明るく洒脱な様式の練習曲から様式とメカニスムの骨組みを抽出し、要約したのではないか、という仮説です。これまでの連載で見てきたように、第6番以前にはバロックのジーグやドイツ=オーストリアの伝統的歌唱旋律や重唱の様式が反映されていましたが、ここにはフランスの「粋な」スタイルを見て取ることができます。伝統的で国際的なスタイルの統合―そんなチェルニーのイメージが少しずつ見えて気がします。この視点に立って、残りの練習曲には時代のどんな特徴が反映されているのか、引き続き見ていきましょう。


上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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