「チェルニー30番」再考

27. チェルニー練習曲, タイプ③~《6つの練習曲, またはサロンの楽しみ》 作品754(後半)

2014/10/27
第二部「30番」再考
27. チェルニー練習曲, タイプ③~《6つの練習曲, またはサロンの楽しみ》 作品754(後半)
タイプ③
メカニックな訓練に劣らず、全体として表現様式に比重を置くもの

この練習曲集には、オクターヴの練習を兼ねた即興的な〈トッカータ〉、同じく急速なオクターヴの連続からなるナポリの舞踊〈タランテッラ〉、オクターヴと手の跳躍が課題とされる舞踏的な〈スコットランド風即興曲〉が続きます。前回の最後に、第一番がロマンスのスタイルで書かれていることに言及しましたが、第5番はまさしく〈ロマンス〉と題されています。
「ロマンス」は18世紀からフランスで独唱と伴奏楽器のための音楽として成立したジャンルで、19世紀のサロンでは社交的な音楽実践に欠かせないジャンルとして発展しました。ロマンスは感傷的、陽気、英雄的など様々な性格の歌詞をもちます。声楽のためのノクターン―ピアノ以前にノクターンは声楽ジャンルとして存在しました―も時に独唱または2声で歌われ、ロマンスの一種です。メンデルスゾーンが書いた数々の《無言歌》はフランス語では “Romance sans paroles”(「歌詞のないロマンス」)と呼ばれ、旋律的で性格的小品としてピアノ曲の主要ジャンルとして普及しました。「感情的なアンダンテ」と冒頭に記された第5番のロマンスは「表情豊かにespressivo」と書き込まれたノクターン風の装飾的な旋律、分散和音の伴奏で始まります。

この冒頭の柔和な身振りは、中間部の遠隔調で提示されるイ長調のエピソードで敏捷な走句によって引き立てられる華麗な性格へと一転します。

こうした雰囲気の変化は、小曲を一つの物語として劇的に仕上げる巧みな構成と言えます。
この曲集を締めくくる第6番〈情熱的な即興曲〉は複合三部形式からなるト短調の小曲です。ベートーヴェン《熱情ソナタ》作品57(1803年作曲)に代表されるように、「熱情passion」は短調と結び付けられました。とくにソナタにおいては、《熱情ソナタ》の調性ヘ短長で書かれたソナタも少なくありません。フランスのC.スタマティ(1811-1870),ボヘミアのユリウス・シュルホフ(1825-1828)は二人ともヘ短調のソナタを書いていますし、チェルニー自身も狙ったかのように《熱情ソナタ》と同じ作品番号(作品57)でヘ短調のソナタを出版しています。
チェルニーの〈情熱的な即興曲〉は、ト短調で書かれていますが、そこでベートーヴェンソナタ第17番(「テンペスト」)のニ短調のフィナーレと良く似た音型を用いています。

ベートーヴェンの弟子で、師の作品に精通していたチェルニーが練習曲という文脈にシリアスなソナタのフィナーレ風のパッセージを持ってきたのは、興奮のあまり息切れしたようなこの旋律のリズムが「情熱」という性格に最も相応しいと考えたからかもしれません。しかし、作曲家チェルニーはいつまでも師の着想に頼り続けることはしません。冒頭の旋律フレーズは、17小節目で変ロ長調に転じ、厚い和音を重ねたシンフォニックな響きを作り出します(譜例5)。

29-30小節目で主題が回帰する直前には、この交響的な響きのなかに主題の断片が現れています(譜例5、最後の2小節)。このように、ベートーヴェン風の着想を用いつつもチェルニーは、細い線で描いたようなほっそりとした即興的な主題とシンフォニックな着想を対比させながら、限られたページの中で劇的な対比を生み出しています。


上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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