「チェルニー30番」再考

16. 1830年代末の練習曲 ~ S. ヘラーによるエチュード批評:ショパン『練習曲集』作品25と旧約聖書 2

2014/08/04
第一部 ジャンルとしての練習曲~その成立と発展(1820年代~30年代)
16. 受容者からみた1830年代末の練習曲
~ S. ヘラーによるエチュード批評:ショパン『練習曲集』作品25と旧約聖書2

 前回は、ショパン《12の練習曲》作品25を出版してほどなくS.ヘラーが書いた批評を取り上げ、第4番と第5番を旧約聖書の『創世記』のあるエピソードに見立てて巧みなレトリックを用いている点に注目しました。このエピソードのあらすじは前回の連載を参照してください。

さて、今回はヘラーの比喩に基づいて、ショパンの練習曲との文学的な対応関係を図式的に見てみましょう。下の図はこの対応関係を表しています。

12の練習曲を愛するヘラーは12人の子ども達の父親、ヤコブに見立てられています。ヘラーは「子どもたち」、つまり12の練習曲のうち第4番と第5番がお気に入りだと述べていました(前回連載引用部分参照)。この2曲をヤコブが愛したベニヤミンと、兄弟の中でも特別な運命を辿りエジプトの宰相となったヨゼフに喩えます(但しいずれがヨゼフでベニヤミンかは不明瞭)。2つの練習曲にそれと分からぬように隠された高貴な霊感としてのモーツァルトの着想は、知らぬ間にベニヤミンの穀物袋に入れられた黄金の盃に喩えられています(前回の譜例4,5を参照)。

ヘラーは、この比喩によって、直接ショパンの作品が旧約聖書を表しているとまでは言っていませんが、巧みなレトリックを通して批評の読者の脳裏には連想の契機が植え付けられます。ヘラーショパン自身が楽譜で何も具体的には語っていない「金杯」の存在をモーツァルトの《レクイエム》との比較を通して示唆することで、修辞的観点からだけでなく、音楽分析的観点からも旧約聖書との対応関係について説得力を持たせようとしています。ヘラーはもちろん、ショパンモーツァルトの熱烈な信奉者であったということを念頭においていたはずで、そのことを知る人がこの批評を読めば、かなりの説得力を持つ批評に思えたことでしょう。

次回は第7番に対するヘラーの批評を分析し、どのような言葉でタイトルのないショパンの練習曲を彼が解説したのかを見てみましょう。

参考音源

ショパン《12の練習曲》作品25 第4番 イ短調

参考音源

ショパン《12の練習曲》作品25 第5番 ホ短調



上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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