15. 受容者からみた1830年代末の練習曲 ~S. ヘラーによるエチュード批評:ショパン『練習曲集』作品25と旧約聖書
~S. ヘラーによるチュード批評:ショパンの『練習曲集』作品25と旧約聖書
一方、初めからタイトルのついていないショパンの練習曲はどのように評されたのでしょか。ヘラーは、限られた紙面の中で、『練習曲集』作品25から短調の3つの第4、5、7番を挙げて個別に批評します。個人的にも知り合いで、敬愛するショパンに対するヘラーの印象は非常に好意的で敬意に溢れています。まず、第4番イ短調とモーツァルトの《レクイエム》冒頭との類似を指摘します。
F. ショパン《練習曲集》作品25 第4番 (冒頭4小節)
モーツァルト《レクイエム》KV 626 (冒頭3小節)
次に、第5番にも等しくモーツァルトの面影を見出しますが、ここから文学作品を愛したヘラーは旧約聖書との比較に基づく凝ったレトリックを多用し始めます。
下の引用に記されているヨセフとベニヤミンは『創世記』に登場するヤコブが、4人の妻との間に設けた12人の子どもたちのうちの2人です。年老いたヤコブは妻ラケルとの間に生まれた長男(全体では11男)ヨセフを深く愛しました。そのため他の異母兄弟からは妬まれますが、後にヨセフはエジプトの宰相となり、飢饉を救うなどの活躍をします。その折、かつて自分を蔑んだ兄弟たちがそれと知らずに食糧を求めて自分の元を訪れます。ヨセフは兄弟の誠意を試すために銀杯(引用中では金杯)をベニヤミンの穀物袋に入れて罪を着せ、奴隷になるよう要求します。しかし、他の兄弟が「自分たちが代わりに奴隷になろう」という兄弟愛の発露を目の当たりにし、ヨセフはついに自身の出自を明かし、兄弟たちと和解します。この背景を踏まえてヘラーは次のような比喩を展開します。
第5番ホ短調とモーツァルト作品の関連は具体的には示されていません。ジグザグ形に上昇していく旋律の形が第4番を連想させるということなのかもしれません。
F. ショパン《練習曲集》作品25 第5番 (冒頭6小節)
具体的な比較はさておくとして、次回は練習曲と旧約聖書の比喩を図を用いながら整理してみましょう。
- 原文では「第2番」だが、その前に第4, 5,7番をあげる旨を述べているので「第5番」の誤りである。
金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。