12.モシェレスが掲げた練習曲のモットー―C. P. E.バッハの言葉
前回は、ボヘミアの作曲家モシェレス(1794-1870)がパリで自作の《性格的大練習曲集》作品95(1837)の序文の内容を見ました。モシェレスは、練習曲にとって詩情あふれるタイトルが、演奏者と作曲家の間のイメージ共有を助ける役割を果たしていること強調していました。さて、今回は、彼がこの練習曲集に掲げた「モットー」を見てみましょう。
このモットーの引用元は、彼自身が示したようにカール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714-1788)の『正しいクラヴィーア奏法試論』(1753)で、「演奏」について述べた第3部にこの一節があります。18世紀中期から後期にかけて、ソナタ、ロンド、幻想曲などを中心に数多くの鍵盤作品を作曲したC.P. E. バッハは、「多感様式」と呼ばれる潮流の代表者です。
エマヌエル・バッハはモシェレスの三世代ほど前の作曲家・鍵盤楽器奏者ですが、長生きしたこともあってモシェレスの誕生する6年前まで生きており、その影響力は尚もモシェレス世代にも及んでいました。特に、『正しいクラヴィーア奏法試論』はフランスでも博識な音楽家の間ではよく知られていました。
大バッハがマリア・バルバラ (1684 - 1720)との間に設けた次男であるエマヌエル・バッハはフリードリヒ二世お抱えのチェンバロ奏者で、68年からはテレマンの後任としてハンブルク市で音楽監督を務めるなど社会的にも重要な地位を占めていました。その名声から、当時一般に「バッハ」といえば彼の敬愛した父J.S.バッハではなくエマヌエル・バッハを指したほどです。とりわけ彼の幻想曲には急速なテンポとゆっくりとしたテンポの交替、突然挿入される休止、遠隔調への転調が激しい感情の対比に満ちています。この客観的な形式的均整を危うくする主観的とも言われる表現手法こそが、彼を「多感様式」の代表者と呼ばれるゆえんです。彼は、演奏者は作曲家が作曲したときと同じ情念を抱き、その情念をもって演奏することで聴衆はそれを共有できると考えたのでした。
もっとも、バッハは演奏者の身振りが聴衆に及ぼす作用については言及していますが、言葉の影響力には触れていません。モシェレスの活躍した19世紀は18世紀後期とは異なり、ロマン主義の潮流のなかで言葉が楽器の調べとともに特定の感情表現の一翼を担うという動きが先鋭化した時代です(この思潮を「感情美学」といい、ベルリオーズやリストが代表者です)。新しい時代の芸術思潮の中で、モシェレスはバッハの格言を―おそらく意図的に―誤読して、練習曲のモットーとしたわけですが、そのことによって、練習曲は音楽ジャンルの中でも、ひとつの有効な表現的領域として認められるようになっていたことが、この事例からよくわかります。
同じように練習曲集の各曲にタイトルをつけることは、30年代、主にドイツの作曲家を中心に行われました。ベルリンの重鎮ヴィルヘルム・タウベルト(1811-1891)マンハイム出身のJ. ローゼンハイン(1813-1894)、バイエルン王国のアドルフ・フォン・ヘンゼルト(1814-1889)がとりわけ優れたタイトルつき練習曲を30年代の後半に出版しています。
金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。