「チェルニー30番」再考

6. 練習曲、訓練課題から独立する(1830年代)

2014/05/29
第一部 ジャンルとしての練習曲~その成立と発展(1820年代~30年代)
6. 練習曲、訓練課題から独立する(1830年代)
ショリュー

ピアニスト兼作曲家や批評家たちがこのジャンルに着目し始めた20年代後半を経て、1830年代にはいると練習曲をめぐる状況は大きく変化し始めます。1830年、パリで刊行されていた定期刊行雑誌『ルヴュ・ミュジカル』の無記名記事からは、練習曲が独自の地位を占めるようになってきた様子が伺われます。記事では、それまでの人々は練習といえば「ソナタや、様式を鍛錬するのに有益な様々なジャンルの曲を演奏した」が、これは「メカニスムを向上させるのにはほとんど適していなかった」、と断言します。では、そのために何が求められたのでしょうか。その答えは練習曲集であり、それを体現したのがクラーマーの練習曲集だったというのです。「クラーマーは、ピアノ曲の面白味を削ぐことなく、少なからず劇的な形式をこれらの曲に与えながら、各種の難しさに特化した練習曲を作曲できると考えた」というわけです。

練習という実用性と作曲家の創意が両立できるジャンルとしての練習曲集は、クラーマーの示した指針に沿う形で、30年代までに「多くの傑出したピアニストたち」によっても出版されることになったと、記事では分析されています。先見の明を持つ記事の著者は、この動向を踏まえたうえで、次のような予言を打ち出します。「[練習曲集というジャンル]は、さらに長い間、この難しい技巧の全体が概観されないうちに、いっそう多様なものとなるだろう。」なぜか―それは、「それぞれのピアニストは、自身の演奏に、自身のエスプリから出る表現の中に、彼らにしかない独自のものを持っているからだ」1、というのです。

この記事の著者は、クラーマーの練習曲以後、練習曲が純粋な手や指の訓練にとどまらず、「曲の面白み」をも伴う独立した音楽ジャンルとして発展していくことを予言しています。同年、パリ音楽院でルイ・アダン教授のクラスを出たピアニスト兼作曲家、シャルル・ショリュー(1788-1849)は、この批評家に呼応するように、《ピアノための特別な練習曲》作品130に次のような文句を書き込みました。

「ピアノ教育にとって練習曲の力強さが一般に認められる時がついに到来した。」2

この二年後、1833年に23歳の若きショパンがパリで《12の練習曲》作品10を出版することになるのは、彼らの予言の正しさを証明しています。

1830年代、ショリューの号令に応じる様に、あとにも先にもない「エチュード熱」がピアノ界を席巻します。パリ音楽院に学ぶフランスの音楽家はもちろんのこと、ヨーロッパ各国からパリに集うヴィルトゥオーゾたちは老いも若きも、それぞれに趣向を凝らした練習曲を書きました。全てを挙げると長大なリストになりますので、ここでは主な名前を挙げるに留めます。ベテラン組の中は練習曲の立役者クラーマー、ドイツの楽長フンメル、音楽院教授ヅィメルマン、音楽院出身のカルクブレンナー、クレメンティの系譜に連なる音楽家アンリ・ベルティーニ、ウィーンのチェルニー、ボヘミアの巨匠モシェレス、更に若い世代ではパリのアルカンラヴィーナ、ポーランドのショパン、コンツキ、ヴォルフ、ハンガリーのリスト、イタリア出身のデーラー、ドイツのヒラーローゼンハイン、スイス出身のタールベルク等が、10年の間にせめぎ合うように練習曲集を出版しました。

  1. この記事は、パリ音楽院ピアノ科教授ジョゼフ・ヅィメルマンの新作《25の練習曲》作品21の批評として掲載された。Anonyme, 《 Publications élémentaires : Vingt-quatre Études composées pour le piano et dédiées à S. A. R. madame la princesse d'Orléans, par J. Zimmerman, professeur au Conservatoire et membre de la Légion-d'honneur. Œuvre 21 : prix 20 fr. à Paris, chez Launer, éditeur de musique, boulevard Montmartre, 14 》, Revue Musical, no 34, 22 septembre 1832, p. 271-272.
  2. Charles CHAULIEU, Études spéciales pour le piano, op. 130, Paris, H. Lemoine, 1832, p. II.

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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