「チェルニー30番」再考

4. 練習曲の定義の変遷(1820年代~30年代)その2:クレメンティの「訓練課題」とクラーマーの「練習曲」

2014/05/12
第一部 ジャンルとしての練習曲~その成立と発展(1820年代~30年代)
4. 練習曲の定義の変遷(1820年代~30年代)
  その2:クレメンティの「訓練課題」とクラーマーの「練習曲」

M.クレメンティ(1752~1832)

J.B.クラーマー(1771~1858)

 前回見たように、クラーマーは「練習曲études」と「訓練課題exercices」という言葉を、タイトルの中で使い分けていました。さて、ここでひとつの疑問が湧いてきます。一体、これら2つの用語が指すものは、実質的に、何が異なるのでしょうか。18世紀末から19世紀初期の段階では、「練習曲」と「訓練課題」は殆ど同じ意味で用いられていました。たとえば、クレメンティの有名な《パルナッソス山への階梯》。実は、これには次のような副題が付いています。「厳格な様式と優雅な様式の練習課題によって示されたピアノ演奏の技法l'Art de jouer le piano forte, démontré par des exercices dans le style sévère et le style élégant」。

《パルナッソス山への階梯》は、クレメンティが人生の後半、1817年、19年、23年の3回に分けて出版した作曲活動の縮図とも言うべき100曲の作品集です。この曲集は、機械的な指の訓練に重点を置いた曲のみならず、多数のソナタやフーガ、カノンに加え、10分を超える瞑想的な作品も含まれて言います。

ここで、2つの対照的な例を見てみましょう。第16番 ハ長調は5本の指をまんべんなく使う、指の力の均質さを得るための練習曲です。

譜例1

M. クレメンティ 《パルナッソス山への階梯》第1巻(1817)第16番 ハ長調

この曲は次々に転調し、巧みに和声付けされてはいますが、それは退屈な反復動作を和らげる配慮です。曲の主眼はあくまで手の機能性を向上させることを目的としたにあると言えます。

一方、第14番 ヘ長調は全く学習目的が異なります。この曲はソナタの第2楽章に登場するような、優美なアダージョの様式で書かれています。

譜例2

M.クレメンティ 《パルナッソス山への階梯》第1巻(1817)第14番 ヘ長調

(*音源はテキスト末尾の動画参照。)

この例では、16番で見たような反復される音型は見られず、歌うような表現が重視されていることがわかります。実はこの曲、クレメンティが1786年に出版した連弾ソナタ《二重奏曲》作品14の第2楽章をアレンジしたものなのです。つまり、実作品からとられたこの曲の目的は身体的な訓練ではなく、もしくはにあると言えます。

「訓練課題exercices」という言葉を広い意味で用いたクレメンティに対し、クレメンティの高弟クラーマーが「練習曲étude/études」というタイトルで出版した曲集には、一貫した特徴が見られます。クラーマーの練習曲はいずれも2ページ程度で、細やかな作曲上の配慮が施されると同時に、で構成されています。ほとんどの曲はテンポが急速で、アンダンテより遅いテンポは登場しません。例えば、アンダンテの第25番には「歌うように、音を支えるように保ってcantabile sostenuto」という楽想の指示が冒頭に置かれています。

譜例3

J.B.クラーマー《42の様々な調性による訓練課題としての練習曲》(1804)
第25番 ヘ長調


比較的遅いテンポではありますが、左手は16分音符の6連符が曲の最後まで続きます。クラーマーの84の練習曲はいずれもこのようなを原則としています。これは、今日の私たちが練習曲からイメージする、基本的な特徴です。クレメンティの「グラドゥス」に先駆けたこの曲集で、クラーマーは、練習曲という曲種の定型化を押し進めていたのです。


参考音源

M.クレメンティ 《パルナッソス山への階梯》第1巻(1817)第14番

演奏:林川崇


上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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