(2008年5月26日ユーロピアノ東京ショールームにて録音 [ベヒシュタイン使用])
わが国の作曲家、吉松隆さんのことは今更ご紹介するまでもないですが、ほんとうに美しい音楽なので、お聴きになったことがない方に是非とも聴いていただきたいと思い、当カフェで取り上げることにいたしました。この吉松さん初期の愛らしい小品は、季節のきらめきをプリズムで最小限の音符に透過したような佳品で、その普遍的な懐かしさを感じさせる旋律と響きが私たちの共感を誘ってやみません。個人的には、後年の「プレイアデス舞曲集」以上に親しみやすいのではないかと感じています。楽譜も出ており(こちら)、音にすること自体は比較的易しいので、もしお気に入っていただけましたら、是非実際に弾いてみてください。(もっとも、少ない音符で、バランスを考えながらより美しい響きを追求していく作業や、そこに程良く抑制された美しい詩情を滲ませるのは至難ですが...。)
なにしろ音楽というものがあまりにも素晴らしいので、せっかく生きているのだからせめて美しい音楽のひとつも書いてからのたれ死ぬのも悪くない、とそう思って作曲を始めた。
(吉松隆著『魚座の音楽論』音楽之友社、1987年、9頁)
これは、吉松さんが作曲家になって最初に書かれたエッセイの冒頭部分で、私の大好きな文章です。そして、この文章にあらわれているような純粋な美意識が、その音楽にも横溢しているのです。
吉松さんは、シベリウスに私淑し、その第6交響曲に魅せられて作曲を志されたといいますが、この曲のドリア旋法による神秘的な響きが吉松さんの音楽の原風景となっていることを考えると、吉松作品を弾くうえで是非とも聴いておきたい音楽と言えます。かく言う私は、その逆で、シベリウスの6番に魅せられたのがきっかけで吉松さんの音楽に辿り着いたのですが、その音遣いの根底に感じられるシベリウスへの憧憬の念が、私を惹きつけているのかもしれません。第6交響曲に関しては、吉松さんのホームページで、この曲と宮澤賢治「銀河鉄道の夜」との驚くべき類似を指摘したエッセイが公開されているので(こちら)、併せて是非ご一読を。シベリウス第6交響曲の録音では、個人的には、ベルグルンド指揮ヘルシンキフィル[EMI]によるすばらしく純化された演奏をお薦めいたします。
このように、ある作曲家の音楽に傾倒した際、その作曲家が傾倒していた音楽を知ることは、とても有益で、新しい愉しみをもたらしてくれるのではないでしょうか。たとえば、シューベルトが、ベートーヴェンの交響曲の中で第2番を最も愛していたという事実は、シューベルトの交響曲を理解するうえできわめて重要なファクターとなってくると思います。
《 研究 》 ── 空5度の透明感
吉松さんの音楽で特徴的なこととして、空5度(空虚5度)の音程が透明な響きを創出していることが挙げられます。それはこの「4つの小さな夢の歌」も例外ではありません。
ところで、なぜ私たちは、三和音に比して、空5度に澄んだ美しさを感じるのでしょうか?
長3度・短3度は、中世の合唱曲で、斜進行の登場とともに新たに発見された音程です。それまでの合唱曲は、「平行オルガヌム」と言って、5度や4度の平行進行で重複して歌われるだけの原初的な形態でした。12世紀頃に3度音程が発見され、13世紀にいわゆる三和音としての使用がなされるようになってからも、この3度という新しい音程は動的な性格を持つとされ(長3度は5度に、短3度は1度に向かう傾向にありました[下図])、終止には、これまでどおり、静的とされていた空5度やオクターヴが置かれていました。
♪ 長3度・短3度の進行
(図の出典:T.ゲオルギアーデス著、木村敏訳『音楽と言語』講談社学術文庫、69頁)
♪ (参考)ペロタンのオルガヌムより(12世紀)
(楽譜の出典:C.パリシュ/J.オール共著、服部幸三訳『音楽史―グレゴリオ聖歌からバッハまで』音楽之友社、41頁)
5度音は、自然倍音列において、オクターヴに次いで現れる最初の異音倍音(第3倍音)です。合唱でも、オクターヴに次いで5度の平行オルガヌムが最初に現れたことを考えると、ユニゾン・オクターヴ以外の協和音程として最初に発見されたのは必然と言えましょう。最初に現れる異音倍音ということは、基音の倍音のなかで、もっとも大きく鳴っている異音であるということです。ですから、空5度は、基音だけを鳴らした音に近い、という点で、三和音よりも純度が高い、と言えると考えられます。
♪ 自然倍音列
(図の出典:茂木一衛著『〈癒し〉を越えるクラシック―生き方に迫る音楽を求めて』音楽之友社、177頁頁)
また、ドミナントに属七和音を用いないと、限定進行音であるドミナントの7音がなくなるので、そこからトニックに解決する際に、3音が含まれない空5度のトニックになり、結果的にドミナント、トニックともに純度の高い響きになる、というのも大きな要因のひとつです。昔の合唱曲を彷彿とさせるような澄んだ響きが使われているのです。
このような純度の高い響きに触れると、えもいわれぬ寂しさが去来します。私の友人が、吉松さんの音楽を、"ちょっと透き通った、石ころの哀しみ"と形容していましたが、言い得て妙ではないでしょうか。
今日はほかに、空5度の透明な美しさが印象的な例として、ドメニコ・スカルラッティ(1685-1767、イタリア)のソナタを1曲お耳に入れましょう。これもとても美しく清冽な音楽です。スカルラッティのソナタは元はチェンバロのために書かれたものですが、この曲などは、現代ピアノで弾いたほうがその美しさがいっそう際立つ典型ではないでしょうか。
◆ ソナタ イ長調 K.208
【 ♪
試聴する 】
( 2008年2月10日 杉並公会堂小ホールにてライヴ録音 [ベヒシュタイン使用])
さて、今日はちょっと難しいお話になってしまいましたが、吉松さんの小品の透き通った響きを皆さんもピアノの前で楽しんでいただければ嬉しいです。では、またお目にかかりましょう。
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