第18曲「小リート」
まずはお知らせから。つい先日、『エスキス』の国内版の楽譜が出版されました! 連載でも毎回PDFで楽譜を配布していますけれど、本として手にすると曲への愛着もまた違ってくると思います。もしも「アルカン気に入った!」と感じておられる方は、ぜひともチェックしてみてくださいね。この連載の各ページからもネットショップの商品ページに跳べるようにしてありますので。ちなみに、私も校訂・解説ということで参加させていただきました。だから言うわけじゃありませんが、良い楽譜に仕上がっています!
さて、今回の曲は「小リート」、原タイトルは "Liedchen" です。ドイツ語のタイトルとなっていることにご注意。
この曲集、各曲のタイトルを見渡してみると、アルカンの母国語であるフランス語によるものが当然ながらいちばん多い。しかし、ほかの言語も混じっていることがわかります。
まず目につくのはイタリア語。これは不思議なことではありません。習慣として楽語はこの言語で書くことになっているわけだから、音楽家にとってイタリア語は馴染み深い。たとえば「スケルツォ」とか「デュエット」なんていうのはもうイタリア語というより、音楽の世界共通語みたいなものですね。だからまあ、あんまり具体的すぎない程度に曲の性格を示すなら、どんな母国語を持つ人にとっても、イタリア語こそ最適な言語といえるかもしれない。アルカンも、わざわざイタリア語を選んだというより、当たり前のように使ったのに違いない。
ラテン語のタイトルもある。こちらはイタリア語とは違って、特別な雰囲気を表すために意識的に用いられたものでしょう。ラテン語は重みのある言葉だ。極めて古い歴史を持ち、俗世で廃れてからも教養ある者の間でのみ共通語として受け継がれた。そのため宗教や学問・思想などと結びつけて捉えられることが多い。『エスキス』でも、ラテン語のタイトルを持つ曲はどれも「歴史」「高踏」「信仰」といった、言語の性格に相応しい内容を持っています。
そして今回の曲はドイツ語。タイトルにドイツ語が使われているのはこの1曲だけです。このタイトルがつけられた理由は単純明快で、それは曲の中身がドイツ歌曲のパロディだから、ということに尽きる。「歌ものっぽいピアノ曲を書いた」とかいうのではなくて、「ドイツ歌曲っぽいピアノ曲」なんです。
この曲がどれほど見事にドイツ歌曲っぽいかというのは、クラシックに親しんでいる人ならきっと感じとっていただけると思う。ただ、言葉で説明するのがなかなか難しいのがつらいところ。
ドイツ歌曲というのは、乱暴な言い方をしてしまうと、旋律よりも和音の方が重視される音楽です。たとえば近代フランス歌曲にもその傾向はありますが、和音の重視のしかたに違いがある。フランス歌曲は和音の響きそのものの色合いを楽しもうとしますが、ドイツ歌曲の場合、「機能和声」と呼ばれる和声進行への理論的な解釈が根底にあると考えて良いでしょう。そして、感情の変化を転調によって表現したり、問いかけと答えといった言葉の対応をそのまま和音の対比として取り入れたりと、歌詞の部分部分に分析的な反応を返すことが多い。良く言えば理知的に考え抜かれた和音であり、悪く言うと歌詞に対して説明的になりすぎだと言えるかもしれない。
また、ドイツの音楽は、感情の赴くままの自由な流れや断片的な響きの美しさよりは、全体の構造的な堅固さが重視される傾向がある。塊をまず半分ずつに切り分け、その半分をさらに半分に切り分け......といった手法で、割り算的な計算で起承転結が作られた音楽とでも言えばいいでしょうか。
そんな観点から今回の「小リート」を眺めてみると、なるほどドイツ的、と思っていただけるんではないでしょうか。旋律なんて、中間部の4小節ほどを除けば、前奏で出てきたフレーズを高さを変えながら繰り返しているだけみたいなもんです。が、それに活き活きと表情を与えるのが和声の変化。間違いなく、この音楽の核となっているのは旋律ではなく和声です。
17小節目のアウフタクトから始まる後半部分を見てください。17、18小節の変ロ長調の「問いかけ」に対しては、19、20小節の「答え」もやっぱり変ロ長調。しかし21、22小節の同じ「問いかけ」に対して、23、24小節では「答え」が主調のイ長調に転調している。この辺のやり口がいかにもドイツ歌曲的だと言えます。歌詞なんてないのにいろいろ想像できてしまいそうなアルカンの手腕は見事なものです。
演奏の際にも、こうしたドイツ歌曲の特徴をふまえながら展開を考えると、うまくまとまるはず。あと、こっそり教えてしまいますが、上でちらっと書いた「割り算的な思考」というのは何もこの曲に限らず通用する大事なものです。特にドイツの作曲家の音楽をしっかり構成したいときにはいつでも役に立つと思います。覚えておいて損はないですよ!
では今回はこの辺で。次回は「恩寵」です。