作曲家が残してくれた芸術を生で伝え続ける覚悟

特級
浦山瑠衣 さん

★演奏曲目★

ベートーヴェン:
ピアノ三重奏曲 ト長調 Op.121a 「カカドゥ変奏曲」

◆ピアノを始められたきっかけは何だったのでしょうか?

両親ともに音楽家ではありませんが、音楽が大好きな家で育ちました。「将来、娘の生演奏で晩酌ができたら」という両親の夢があり、母につれられて4歳の頃に地元の音楽教室に通いだしたのが始まりです。

◆それは素敵な夢ですね。浦山さんは1997年からピティナ・ピアノコンペティションを受けてくださっておりましたが、今回、2013年度にまた特級へご出場くださったのは、何らかきっかけがあったのでしょうか?

日本で演奏がしたかったというのが一番の理由ですが、小さい時からともに育ってきたピティナで、今の自分を試してみたいという気持ちもありました。特に特級は高校生の時、大学学部2年生の時にも受けていて三度目のチャレンジだったので。渡米後に自分が大きく変わったのを感じていたので(日常生活の価値観も、音楽家としても)どう受け入れてもらえるか興味がありました。トリオでの夏のヨーロッパツアーを断って参加したので、やるからには最後までと真剣に一つ一つ向き合いました。

◆渡米後の変化は、見事、グランプリというかたちで受け入れられましたね。浦山さんは、既に今回のご出場以前から音楽家として活躍し始められていましたが、ソロ課題曲選択の基準や理由はどういったところでしたでしょうか?

今回はどうしても弾きたかったアルベニスのイベリアをどこに配置するかまず決めて、他のプログラムを組みました。スペインものには小さいときから強く惹かれていましたが、独特な困難さからなかなかチャレンジする機会がなく、コンペが初めてのスペインものデビューとなりました。今振り返ると、コンペの時点ではまだ未熟ではあったと思いますが、これから追求していきたいジャンルの一つなので大きな踏み出しの一歩になったと思います。賭けのようでもあったイベリアの選曲に比べると、エチュード課題やソナタの課題では安定して自分のベストが出せるような曲を、と考えました。

◆スペインものが初めてだったのですね。そうとはまったく思えないほどの情熱感が、当日は伝わってきていたことを思い出します。それではファイナルのコンチェルトの方は、どういった選択理由だったのでしょうか?

イタリアでの個人的な思い出のある曲で、一度はオーケストラと共演してみたいと思っていました。また、渡米してから室内楽を多く弾くようになり、他の楽器との対話によってステージ上で生まれる偶然を本当に楽しいと思えるようになりました。ショパンのコンチェルトは、一本の旋律でオーケストラの歌と絡み合うようなアンサンブルの素晴らしさを味わえる作品の一つだと思い選曲しました。

◆浦山さんと、オーケストラ奏者一人一人との感情の絡み合いが、ショパンのコンチェルトと照応しているようですね。ファイナルから話は戻りますが、一次予選通過後、本選に向けての練習で何かエピソードはありますか?

この時期はアメリカと日本を行ったり来たりで大変な時期でした。アメリカの大学は皆ヴァケーションに入ってしまい学校は人気がなく、静かな練習室にぽつんと一人取り残されてしまった感じがしてとても寂しかったのを覚えています(笑)

◆なるほど! アメリカでは夏期休暇が日本より早く始まり長く続くのでしたね。「日本人は勤勉だ!」という印象が裏付けられたのではないでしょうか(笑) 二次予選通過後はどうでしょうか?

二次予選からセミファイナルまでの間は北海道の実家でのんびり過ごしていました。厳しい練習の合間に家族と息抜きできることが幸せでした。地元の大きな公民館を借りてたまに大きな空間で練習したり、自分の演奏を録画して調整したりしたりして有意義な時間を過ごしていました。

◆弦は常に張りっぱなしにはしない、という話を思い起こさせるエピソードです。それでは、セミファイナルをめでたく通過された後、短い中でファイナルに向けてはどうされましたでしょうか?

セミファイナル後はファイナルまで2日しかないのがわかっていたので、ファイナルの曲も弾くつもりで仕上げていたので比較的ゆっくり過ごしていましたが、やはりいざオーケストラと弾いてみると満足のいかないところが多くて、急遽練習室を借りてたくさん微調整をしました。

◆共演するオーケストラと、自分の色とをどう合わせるかが、最後の最後まで調整が必要になるところですね。また話が戻りまして恐縮ですが、今、半年近く経って振り返ってみて、改めてセミファイナルを終えた感想はいかがでしょうか?

終始緊張していました。ただ、今まで色んな環境の中、色んなピアノ、色々な人々の前で弾いてきているので、整った環境(温かい観客、素敵なホールと完璧に調律されたピアノ、治安の良い都市、きちんとオーガナイズされた進行の中)で弾くのはとても安心感がありました(笑) 演奏後は、母国で久しぶりに弾けた喜びに浸っていました。今までお世話になった日本の先生方や家族、友人に久しぶりに演奏を聞いてもらえたのも嬉しかったです。

◆感想を伺って、本当に、浦山さんが海外で活躍されている音楽家なのだということを感じさせられました。治安にまで触れられる方は日本で演奏している限りでは、まずいらっしゃいません……! それでは、ファイナル、コンチェルトを終えた時はいかがでしたでしょう?

本番の醍醐味を味わうことができました。オーケストラの方々と指揮者の方の素晴らしいサポートもあって、その時間にしか味わえない感動的な一瞬を何度か感じることができました。ふとした瞬間にオーケストラから聞こえてくる問いかけに答えるというキャッチボールを楽しみました。もちろん後から振り返ると満足のいかない部分もありますが、主張したかったことは全て表現し尽くせたステージでした。

◆全て表現し尽くされたことが裏付けられた結果だったと思います。グランプリ受賞、本当におめでとうございます!

ありがとうございます。本当に嬉しく思いました。ただ、表彰式の日からアメリカに戻るまで1週間しかなく、その間に地元でリサイタルがあったり、インタビューや記者会見、ラジオ出演、文部科学大臣訪問などのビッグイベントが多数あり、東京と北海道を往復してとても忙しかったのを覚えています。アメリカに帰った頃にはへとへとでしたが、すぐに引っ越しがあり学校が始まり、ここアメリカでもインタビューの嵐で(笑)嬉しさの余韻に浸る時間はあまりありませんでした。しばらく経ってから、じわじわと、「本当に良かった。」と嬉しさと感謝の気持ちがこみ上げてきました。

◆だいぶ時間が経った頃にまたこうしてインタビューをお願いしてしまい恐縮です。引き続きご多忙の日々と思いますが、いよいよ日も迫って参りました入賞者記念コンサートでは、「良かった」という思いをよりいっそう強めて頂ける場とすることができるよう、全力を尽くさせて頂きます。そこで演奏していただける曲への思い入れについて、お伺いできますでしょうか。

ピアノトリオは、私の通うボストン音楽院の教授の方々と日本で共演できることを本当に光栄に嬉しく思っています。重たく暗い、悲劇的な序奏は後に続く数々の面白い変奏へのジョークのようです。ベートーヴェンのユーモア溢れる素敵な作品です。
ソロのバルトークは短い中にも民族色の濃い要素がたくさん詰まった魅力的な作品です。ピアノの打楽器的な部分が前面に出た曲ですが、その中にちらちらと見え隠れする哀愁を帯びた雰囲気が素敵です。大地の生命の力強さ、人間の生活を感じます。

◆ピアノトリオは第1部、ソロは第3部と、両部ともにトリで浦山さんの演奏を聴けることを大変楽しみにしております。入賞者記念コンサートを経て、またすぐに次の目標に向けて動き出されるかと思いますが、よろしければ抱負などお聴かせ下さい。

練習室に、内に内にこもっていた学部時代の3、4年を経て、とにかく今は、どんどん人前で演奏していく中で音楽家としての自分を発見していく時期だと思っているので、今は週に1、2回の本番を常にこなしています。その多くはピアノトリオとソロの本番です。作曲家がこの世に残してくれた素晴らしい芸術を伝えることが仕事と思っているので、なるべく生演奏で、直に人々の心に触れるように伝えていきたいというのが私の目標です。世界的に有名なコンクールで優勝することも夢の一つではありますが、それはたくさんの人々に演奏を聴いていただいて喜びをシェアしたいという最終目標のための、一つの通過点でしかありません。
深めていきたい作曲家はベートーヴェンとショパン。そしてスペインの作曲家です。そして、同じ時代を生きる作曲家にも興味はあります。同じ時を過ごしている方々がどんな芸術を産み出すのか、とても興味深いことです。

◆今後ともますます目が離せなくなりそうです。このたびはインタビューお受けくださりありがとうございました。最後となりますが、浦山さんとって、「ピティナ・ピアノコンペティションとは?」

幼少期から私のピアノ生活を語る上で外せない存在です。どの級だったかは忘れてしまいましたが、「金魚屋さん」という課題曲が大好きでした。講評に書いていただいた『金魚がキラキラ泳いでいるような水の音が聞こえてきましたよ』というコメントが小さいなりにとても嬉しかったのが印象的です。コンペを通して経験した嬉しい思い、苦い思い、全てが今となっては良い思い出です。

(取材日:2014/03/10)

演奏動画

支部入賞者記念コンサート ゲスト出演